誘って断られるとは思っていなかった。
 自分に自惚れてたかな。

 忘れていたとしても誘えば食事くらい……。
 そんな考えが甘かったことを思い知る。

 それにしてもちょっと心配な子だな。
 仕事を押しつけられたわけじゃないって言ってたけど、完全に押しつけられてる。

 いい顔がしたいわけじゃなさそうなのは分かった。
 よく言えばおっとり、悪く言えばぼんやりした紗良はみんなにいいように使われてる。

 忘れられない女の子を追っていたはずが、今の彼女を放っておけなくなっていた。

 俺は携帯に入っていた誘いのメールに「行く」と返事をした。



 名もないカフェ。

 昔、亘がマスターに言ったことを思い出すと今でも笑ってしまう。

「ここのカフェ。なんて名前なんですか?」

「名前はまだないなぁ。」

「夏目漱石みたいなこと言わないでくださいよ。」

「夏目漱石かい?」

「我輩はカフェである。名前はまだない。」

「ハハッ。そりゃいいや。」


 学生の頃から入り浸っていた『名もないカフェ』
 そこに、カフェに来るような時間ではないのに悪友と来ていた。

「ほら!やっぱり。
 思い出は思い出のままの方が綺麗でいいんだよ。」

 木村亘。よく喋るこいつは俺の『あの子』を知る数少ない人物。

「そんなことないさ。」

「だって向こうは覚えてもないわ。
 仕事は押し付けられるような奴だわ。
 全然イメージと違うんだろ?
 もっと爽助の話だと、可憐で儚げなのに、ふとした時に気高いお姫様みたいな人だって。」

「やめてくれよ。恥ずかしい。」

 子供の頃、あの子と会える度に興奮して亘に話した。
 どんなに可愛いかどんなに素敵かって。
 いつもは亘の半分くらいしか話さない俺が亘に話す隙を与えないくらい。

「会えたのですね。
 おめでとうございます。」

 マスターがにこやかな笑顔で頼んだコーヒーを運んでくれた。
 それとカフェに似つかわしくない食事も。

 学生の頃から入り浸って帰らない俺たちにお腹が空くでしょうからと食事を出してくれた。

 学生の頃はご馳走してくれて、今はもちろん払えるけど、マスターの温かさにいつも甘えてつい入り浸ってしまう居心地のいい場所。

「で、もう他に目を向ける気になったか?
 爽助が来てくれたらコンパだってナンパだって、なんだって上手くいくって!」

「おやおや。爽助くん頼みでは亘くんが上手くいくとは思えませんよ。」

 マスターがにこにこしながら指摘する。
 亘だっていい奴なのに、何故か上手くいった試しがない。

「俺、175センチでそこそこ顔もいけてると思ってるのに、俺の隣にはいつも爽助がいてさ。
 この顔立ちで186センチのこのスタイル。
 俺、いつもこいつの引き立て役だぜ。」

「でしたら爽助くんと一緒に女の子と出会わない方が………。」

「そうだった!ありがとうマスター!」

 亘は相変わらず賑やかだ。

 俺は……。
 そう言えば紗良の前ではいつもより喋っている気がする。

 紗良の前だと俺らしくいられるのは、それだけはずっと変わらないのかもしれない。


 美味しそうな野菜炒めは湯気を出して、早く食べるように誘っている。
 亘は運ばれてすぐにかきこんでいるのも昔と変わらなくて、俺は相変わらずぼんやり『あの子』に思いを馳せていた。

「あの子のことは忘れられてるからムキになってるだけじゃないのか?」

 亘はたまに核心をつくようなことを言うから侮れない。

「ムキに…なっているのかもしれないね。」

 マスターのコーヒーはいつも美味しくて香りを存分に楽しんでから口に運んだ。

「あの子が思い出さないとしても爽助のこと好きになるのなんて時間の問題だろ?
 そうなってから爽助の方が夢から醒めたら、その子トラウマになっちゃうぞ。」

 好きに……か。