憧れをそのまま差し出されても素直に受け取れないものなんだって分かった。

 カジュアルだって言うけどフランス料理。
 同僚との食事にコースを頼むような、世界がまるで違う人。

 夢見心地になれれば楽しめるのかなと思っていたのに、そこまでになれなかった。
 やっぱりこんな人と凡人の私が練習するなんて無理なんだよっていう弱音が口から出ていた。

 それなのに松田さんは練習を自主的にやり始めた。
 私を熱っぽく見つめる瞳から目が離せなくて、心を奪われそうになる。

「どんな女性に言い寄られても君しか目に入らないよ。
 いつでも俺の心をつかんで離さないのは君なんだ。」

 松田さんに言われたら天にも昇る気持ちになりそうな言葉の数々。
 特別だと思っているのが伝わる言葉。

 自分だと、紗良だと、言われたわけじゃないのに、みるみる顔が赤くなって、松田さんの顔を見ていられない。

「ねぇ。紗良。
 練習なんだから俺のことを特別な相手だと思って見てよ。」

 なんの練習だっけ?
 よく分からなくなっちゃうよ。

 会社では『天野さん』って呼ばれてたのに、2人なってから普通に『紗良さん』
 それがここに来て『紗良』だなんて。

 俯いていく顔を松田さんに向けてみても答えは分からない。

「ねぇ。爽助って呼んで?」

 甘い囁きは上目遣いの松田さんから発せられて、もう見ていられない。また俯く羽目になった。

「無理です。」

「敬語もやめて。
 2人でいる時だけでいいから。」

 足に異変を感じて「ひゃっ」と声を上げた。
 2人掛けのテーブルは向かい合っていて、松田さんは素知らぬ顔をしている。

 テーブルクロスが掛けられて周りからよく見えない足元は長い松田さんの脚が紗良の脚に絡んでいた。

 何これ。恥ずかしい……。
 松田さん絶対に恋愛上級者でしょ。

「ごめんごめん。
 友達と食べに行くと見えないからって、よくこうして遊んでたんだ。」

 クスクス笑う松田さんに疎外感を感じて笑顔が引きつる。
 友達とフレンチに来るような別次元の人。

「カウンターみたいなところが良かったね。
 それならこんなことしなくても紗良の近くで食べれただろうから。」

 小悪魔に思える笑顔に笑顔で返せなくて、愛想笑いしか出来なかった。