主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-③ 

母の痩せてやつれた顔――

この人は病に侵されているのだとすぐに分かった。

息吹は百合の手を握ったまま後方に座っている晴明を振り返った。


「父様…お母さんは…」


「薬を煎じて飲ませてはいるが…完治はせぬだろう。息吹、百合殿はもう長くないのだよ」


「そんな…」


「もういいの。あなたに会えたからもう未練はないわ」


百合は本当に嬉しそうに笑ったが、息吹は唇を引き結んで細い手を摩った。

…母をここまで追い詰めたのは自分だ。

あれからもう長い年月が経ったのに百合は苦しんだまま生き、自分は幸せに暮らしてきた。


その事実は息吹を苦しめて、悩ませた。


「お母さん…私、幽玄町に住んでるんです」


「ええ、あなたの旦那様にもお会いしたわ。その…とても…」


「ふふ、怖かったでしょ?あの人いつも難しそうな顔してるけどとっても優しいんですよ」


「そうね、あなたのことをとても気にかけていて…いい方だったわ」


「幽玄町に…来て頂くわけにはいきませんか?」


――幽玄橋を自ら渡る者は少ないが、居ないわけではない。

生きていくことに疲れた者、罪を犯して生きてきたがそんな逃亡生活に疲れた者――様々な理由で橋を渡って幽玄町に来ることはあるが、本当に稀なこと。


「いえ、それは…」


「お母さん、幽玄町はいつも妖が跋扈してる町じゃありません。人が普通に住んで、普通に暮らしています。主さまは彼らを守り、彼らを見守っています。もう長く生きられないのならせめて傍に…」


妖に耐性のない百合は橋を渡ることなど考えたこともなく、息吹の提案にただただ驚いていた。

確かにもう生い先短いが、妖はやはり怖い。

主さまは人型だったからまだ良かったものの、人型でないものが大半だ。


「ありがとう息吹…。でもいいの。あなたに会えたから私はもう…」


「そんなの…駄目」


「…え?」


息吹は強い口調で言い切ると、母の手を離さずまた晴明を振り返る。


「父様、お願いが…」


「いいとも、残りの生、ここで共に暮らしていくといい」


言いたいことを先に言われて息吹がふっとはにかむ。

主さまにちゃんと話をしなくてはならないが、心はもう決まっていた。