「いらっしゃい」

 落ち着いた、しっとりとした声だった。

 先生は小豆色の着物を着て、背筋をピンと伸ばしていた。

 記憶にある先生とは、少し違うような気がした。しかし、確かに僕を見て、微笑み掛けている。


「先生、上井です。上井誉です。覚えていらしたのですか!」


「ええ、覚えておりますとも」


 一人で興奮する僕に、先生は、ニコニコと応対する。


「本当ですか! あの、お元気でしたか」


「ええ、まあ」


 僕は嬉しくて、大きな声を出してしまった。

 そんな僕に、先生はあくまでも笑顔を崩さない。

 感激して、僕の中で鬱積していた気持ちが、ようやく言葉になって吐き出されようとする。

 ここまでやって来るのに、どれだけの不安を打ち破ってきたことか。

 些細な出来事さえも、克明に思い起こせる程だ。


「あの……、僕、実家を出てきて、世の中を見学しに来ました。これから僕は、社会に何としてでも出て行き、頑張ろうと思っています」


「ええ、まあ……」


「小学生の頃……、早苗先生が言ったことば。それを聞いて、僕は決意したんです!」


 何だか、上手く言えない。脈絡がなく、拙い小学生や中学生が話すような言葉だ。

 折角、再会できたのだ。
 こんな時に要領を得ない自分が、もどかしかった。


 それでも、早苗先生は、笑顔で僕の話を聞いてくれている。