サナエ先生は授業の中で、自分の海外での留学経験に触れ、世界が大きいこと、そして若いうちに沢山の物事に触れるおくことを、僕たちに勧めた。

 世界には色々な国があり、人々がいて、言葉がある。食べ物があって、建物があって、自然がある。様々なものを知るということは、自分を知ることに繋がると、目を輝かせて教えてくれた。

 サナエ先生には逆にこの僕たちの田舎を、訪れたことのない国のような新鮮味を感じていたようだが、僕はこのちっぽけな田舎に逼塞している状況を破って、外に出て行きたいと願うばかりであった。


 実際には、クラスの全員が早苗先生のいう世界を肌身に感じたくて仕方がなかったのだが、現実は僕たちの想いを遮るように、その頃の大人たちの殆んどが、閉鎖的な田舎の考え方に偏っていて、結果的にサナエ先生の評判はよくなかった。

 要らぬことを吹き込んだ先生として、レッテルが貼られたのだ。勿論、先生の知らないところで。

 大人たちは、都合の悪いことは直ぐに人のせいにすると、僕はその時に思った。この自然にそぐわない大人たちが、しがみつく様に田舎に暮らし、その家族をも縛る。


 何も知らないサナエ先生の心の内は、いったいどのようなものだったのだろうか?

 何事もなく、気付かないまま過ごすことも出来たのかも知れないが、それを許さなかった大人たちの矛先は、学校へと向けられた。


 振り返ってみれば、人間ほど残酷な生き物はないと、今でも僕は思っている。人の心のように形のない部分に働きかけて、或いは傷付けてしまうような行為は、人間という動物にしか存在しえないのだと、確信している。


 たった二週間だったけれど、強く影響を受けた僕は、いつか故郷を出ていくことを決意した。お金を貯めて、計画を練る。毎日を何気なく過ごし、見たくないものや聞きたくないものには、目を閉じ、耳を塞いだ。


 高校を卒業するまでと抑えてきたのだが、逆にその日が待ち遠しくて堪らなかった。