「知っていますか?
 桜って人を惑わす匂いを出してるんですって。」

 会社からの帰り道。
 満開の桜の木の下を歩く。

 散り始めた花びらはヒラヒラと舞い、夜道の街頭に照らされてまるで雪のようだ。

 ………ちょっと待て。
 どうしてこうなった。

 昨日の女が何故だか隣を歩いている。
 ごく自然に。

 成宮朱莉。短大卒の21歳。
 家庭はごくごく普通らしい。
 オヤジからこのくらいは知っておけと教えられた。

 朱莉は受付ロボットくんと一緒に1階ロビーにいた。
 オヤジから次の仕事は俺をその気にさせることだと聞いたはずで、受付ではなくなった……はずでは。

 一瞬目を丸くして、しかし存在を悟られないように出てきた………と思ったのにいつの間にか隣にいた。

「副社長?聞いてますか?
 だから春は変態さんが多いんですって。」

 変態にさん付けとは恐れ入る。

「変態になるのにちょうどいい季節のだけだろ?」

「わぁー。綺麗。」

 風が吹き抜けて花びらを余計に舞い散らせた。
 舞った花びらは川面に落ちて揺れながら流れていく。

 質問しといて……人が意見したのに聞いてないとかいい加減にしろよ。

「桜の下には死体が埋まってるんだろ?」

「………またまた〜。冗談…ですよね?」

 こいつ。さては怖がりだな。

「さぁ。どうだか。」

「そういうの苦手なんです。
 幽霊とか化け物とか。」

 よほど怖いらしい朱莉が袖の端を掴む。

 笑っちまうよな。
 苦手な化け物の筆頭みたいな奴の服を掴んでるなんて。

「あの………。
 社長に次の仕事は副社長をその気にさせることだって言われたんですけど……。
 その気の『その』ってなんでしょうか。」

 このタイミングでそれ言うか?
 知らずに俺と一緒に帰るとか奇跡かよ。

 あー面倒くせぇ。
 全部話してさっさと記憶を消せば済む話だ。

「俺はお前が怖がってる化け物なんだぜ。
 ここに居て大丈夫か?
 その気って言うのは『お前を食べる』気になるまでってことだろ?」

 これで逃げ出せばいい。
 逃げられれば記憶を消すのが面倒にはなるが、今この耐えられない時間から解放されるならそっちの方がいいくらいだ。

 人を食うような奴とは一緒にいられないだろ。