「シートベルトしましたか?」
「はい」
 何の会話もないまま、私と宮部を乗せた車は夜の街を制限速度で走りながら一路兄の待つアパートへと向かった。しかし、ナビが『もうすぐ目的地です』と告げた途端、宮部が車を路肩に寄せて止めた。
「教えてください。本当に、本当に最後に居た場所や、最後に一緒だった人に会ったら、何かわかりますか?」
 宮部の知りたいことは、彼が沈黙を守っている間もずっと私には届いていた。
「必ずとは言えません。でも、震災の後、なかなか見つからないご家族を探すのには沢山協力しました。それが、亡くなった方だからわかるのか、生きている方でもわかるのか、私にはよくわかりません」
 私の言葉に彼は明らかに驚いていた。それは、私がプロフィールを公開していないので、震災の後に依頼を受けて現地に入ったと勘違いしての事だった。
「私、震災に遭って、兄と東京に出てきたんです」
 私は先回りして、宮部の問いに答えた。
「これは、警察からの正式な依頼じゃありません。鑑定料は僕がお支払いします。それと、もし子供が見つかったとしても、天生目さんの名前は表に出ません。それでも依頼を受けてもらえますか?」
「お代はさっき戴いたので、お受けします。それから、何があっても、私の名前は出さないでください。私の素性も誰にも言わないでください」
 私の言葉に、宮部はとても驚いていた。彼からすると、人は誰でも注目を集めたがり、私みたいな仕事をしている人間は、少しでも名を売りたいと思っているようだ。
「私は直接言葉を交わさなくても、距離が近ければ見えます。だから、ご家族にご紹介いただく必要はありません。でも、近くに寄れるチャンスを作ってください」
「わかりました」
「それから、私の名前、珍しい名前なので、名前で呼ばないでください」
「じゃあ、なんてお呼びしたらいいですか?」
「適当に考えてください。ニックネームとか」
「下の名前は教えてもらえないんですか?」
「紗(さ)綾(や)樺(か)です。糸偏に少ないという字、糸偏の綾という字、それに白樺の樺と書いて三文字で紗綾樺です」
「紗綾樺さんと呼んでもいいですか?」
「適当な呼び方が決まるまでは良いですよ。決まったら、名前で呼ぶのもやめてください」
「あの、携帯電話の番号を教えてもらえますか?」
 『これじゃ、合コンだな』という彼の考えが頭に流れ込み、私は思わず笑ってしまった。
「その前に、宮部さんの下の名前教えてくださいって言いたいところですけど、さっき警察手帳にかいてあった、宮部尚生(なおき)さんであってますか?」
「はい。自分の携帯電話は、ここに書いてあります」
 宮部は言うと、自分の名刺を差し出した。
 私は、その番号を見ながら電話をかけた。宮部のポケットの中で携帯が振動しているのがわかる。
「その番号が私の番号です」
「ありがとうございます。じゃあ、明日にでも連絡します」
 そう言って再び車を走らせようとする宮部の腕を私は意識的につかんだ。瞬間、近くにいるだけでは見えなかった事件の情報が流れ込んでくる」
「あ、あの、紗綾樺さん・・・・」
 明らかに、照れて困惑している宮部の声が聞こえる。
「兄には、事件に関しての依頼をしたことは黙っていてください」
 私が改めて言うと、宮部は『わかりました』と言って頷いた。
 宮部が再び車を走らせ、アパートの前につくまで、私は宮部から取り込んだ事件の内容を何度も反芻した。
 車が止まる音が聞こえたのか、部屋から兄が飛び出してきた。
「さや!」
 近所迷惑もかまわず、兄は金属製の階段をガンガンと音を響かせながら走り降りてくる。
「お兄ちゃん、近所迷惑!」
 私は声を潜めながらも注意する。
 何年住んでも、この住宅の密集感には慣れない。
「すいません、以前、転職の相談を親身になって聞いていただいて、本当にうまくいって、そのお礼に伺ったら、まだ夕飯を召し上がっていらっしゃらないとおっしゃったので、お誘いしてしまいました」
 宮部は正確とはいいがたいが、それでも丁寧に、経緯を兄に説明した。
「刑事さんだから正直にお話ししますけど、妹には、こんな仕事はやめさせたいと思ってるんです。だから、そっとしておいてやってください」
 兄は冷たく言うと、私を宮部のそばから引き寄せた。
「ご心配をおかけしました。あ、それから、GPSで居場所を調べるのは、ご本人の承諾をとってからされた方が良いですよ。兄妹とはいえ、重大なプライバシーの侵害ですから」
 宮部の言葉に、兄は気まずそうに頭を掻いた。
「どういうこと? お兄ちゃんにも見えるようになったんじゃないの?」
「違うよ、スマホのGPSでさやの居場所がわかるんだよ」
 この世で私が心も考えもまったく読むことができない唯一の例外である兄は、何事もなかったように言った。
「では、失礼いたします」
 宮部は折り目正しく挨拶をすると、何事もなかったように帰って行った。
「大丈夫か?」
 何かを察したような兄の問いに、私は極上の笑みを浮かべて見せた。
「オニオングラタンスープご馳走になっちゃった!」
「もう遅いから、寝るぞ」
 あきれたような兄に促され、私は部屋に戻った。


 一通り兄からの事情聴取を終え自分の布団に横になった私は、宮部から強引に入手した情報を何度も見直した。
 いなくなったのは、七歳の男の子。その日は、父親と一緒に遊びに出掛け、おもちゃ売り場を見ていたはずなのに、待ち合わせ時間になっても姿が見えず、デパートの外で白っぽいワゴン車に乗ったらしい。
 父親は、みつからなくなった息子を探すため、車を飛ばして帰宅。夜になり、捜索願を出す。誘拐と思われるが身代金等の要求が来ない。
 確かに、これを誘拐事件として扱うには、身代金の要求がないから難しいのだろう。でも、既に数日経過して、犯人からは一切連絡がない。だとすると、誘拐ではなく、単なる失踪、いや本人が目当てであれば、犯人から身代金の請求がなくてもおかしくない。
 あれこれ考えながら、私は絶対的に宮部からもらった情報だけでは足りないと確信した。そう、子供に一番近い存在、母親か父親。できれば、両方に接触したい。そうすれば、見えるはずだ、何が起こったのか。
 考えているうちに、再現される記憶が揺らめき、段々に意識が遠くなっていくのを感じた。『ああ、眠りに落ちるんだ』と私は思うと同時に、いつも見る金色の狐が軽やかに野をかけていく姿を見た。

☆☆☆