第五話 喜びと試練

「奈千の意識が戻った?!」

奈千が倒れてから三週間

病院に居る英治から学校に居る真緒へ、連絡があった

「…ただし、お前は学校が終わってから来るように

先にご両親二人が今来てるんだ

…状況、分かるな?」

英治のいつに無い真剣な声に、真緒は息を呑む

「お前も毎日面会に来てくれていたし、色々と手伝ってくれたから感謝している

…けど、悪いが今回はご両親を優先させてほしい」

「…分かった。
学校が終わったら、すぐに向かうよ」

電話を切り、スマホを持つ手を下に降ろす真緒

「……」

何故だろう

どこか、複雑な気持ちだった


「奈千の意識が戻った?!」

真緒と同じ反応を示したのは結花だった

「…そう、…そっか…」

涙ぐみ、嬉しそうに笑う結花

「早く…会いたいね」

「…そうだな」

結局

近親者以外の面会が入院から今日この日まで出来なかった奈千

結花も…どれだけ心配していただろうか

「…また、色々聞かせてね」

「あぁ、伝えに行くよ」

二人の間を優しい風が通り過ぎ…

真緒は、来た道を戻ろうとした


「…ねぇ、真緒くん」

「?」

呼び止められ、振り返る

「…ううん、ごめん。何でもないや」

「…そう?」

「うん。引き止めてごめんね」

何事も無かったかのように、真緒はそのまま去って行った


「…あの子、意識戻ったんだ」

一人残された結花は俯き、ゆっくりと視線をあげる

「…どこまで運が良いのやら。

でもだからって、…

絶対、渡さないんだから…!」

内に秘めた思いを胸に、結花はその場を後にした




「ー…という訳ですが…如何いたしましょう?」

分厚いガラス越しに見える奈千

部屋の外では、楓と奈千の両親の姿があった

「…」

「…」

二人とも、衝撃が大きかったのか一言も発しない

「…最終的に決めるのは彼女とご家族の方です

僕らは…彼女やご家族の意見を尊重して、治療を進めていきたいと思っています」

楓の言葉に、少し顔を上げた夏目

「…先生、あの子は元の生活には…もう戻れないんでしょうか」

潤んだその瞳から、大粒の涙が一粒こぼれ落ちた

「…彼女次第、と言ったところでしょうが…元の生活に戻るには、少し難しい所もあります」

「そう、ですか…」

肩を落として落胆する夏目

「…奈千は……」

次に口を開いたのは、智之だった

「奈千は…あの子は今、この状況を何と言っているんですか」

「…状況、ですか?」

「はい」

奈千の考えている事、思い、という事だろうか…

「…まだ意識が戻ったばかりで、少し混乱しているようで。

はっきりとした意見は、僕らもまだ聞けていません」

「そうですか…」

楓の言葉を聞き、奈千に視線を向ける智之

「…僕は、父親失格ですね」

「あな…」

夏目が智之に言葉をかける前に、智之はその場を去ってしまった

「…もう少し、この子のそばに居てもいいですか?」

「…構いません。
どうぞ、奈千ちゃんのそばに居てあげてください」

楓は席を外し、その場には夏目だけが残った

「奈千…」

こんな小さい体で

あんなに沢山の笑顔を振りまいていたのに

「…そういえば私、いつからあの子と会ってないのかしら」

仕事が忙しく、家にいる時間もまばらであるため生活時間が合わない親子

一ヶ月顔も見ていない、なんてこともあったくらいだった

「…もっと、ちゃんと向き合ってあげるべきだった」

たらればの話をしても、もう遅い

そんな事、自分が一番よく分かっている

けど…

「…あなたには、どうしても強くなってもらわなきゃいけなかったのよ……」

智之の去った先を見つめ、夏目はまた目を潤ませた

「…あなただけが、私の最後の希望なの…!」

泣き崩れるように、しゃがみこむ夏目

「…っ、…ひっく……」

声を殺して、一人泣き崩れた



あれからどのくらい時間が経っただろう

奈千の点滴を確認に来た看護師が夏目を発見し、慌てて駆け寄る

「…大丈夫です。すみません」

夏目はふらふらと立ち上がり、その場を立ち去る

「…」

あの子も…何度こうやって泣いたのだろうか

「…一番辛い時にそばに居なかった私の方が…母親失格よ」

夏目には、母親がいない

幼い頃、両親は離婚して父子家庭で育ってきた夏目

そのせいか、本来あるはずの母親像が自分の中に無く…

母親としての自分を見いだせないまま…

長い、長い月日が流れてしまった

「…取り敢えず、帰ってご飯作らなきゃ」

目の前で止まったエレベーターが開き、俯きがちに乗り込む夏目

「…あれ、おばさん?」

聞きなれた声が頭上から降ってくる

「…っ、真緒、くん……」

「っえ?!な、何で泣いてるんすか」

泣き腫らした夏目の顔を見てぎょっとする真緒

真緒は病棟の看護師に頼んで休憩室を貸してもらった


「…ごめんなさいね、真緒くん」

「謝る必要ないですって。
…それより、奈千の容態って……」

真緒は少し落ち着きがなかったが、目の前の夏目もとても心配していて。

普段落ち着いている分、少し珍しかった

「…私の口から言うより、自分の目で見て確かめた方がいいと思うわ」

「それって…」

「…真緒くん、奈千がこうなってしまったのも…私たちの責任だと思っているの

当たり前に注がれるはずだった親の愛情なんてろくに知らずに育ってきた分…私たちの間には、溝があったの」

真緒は、何を言っているのかわからないという顔をしている

「…母親らしい事なんてほとんど出来なくて…真緒くん達にお世話になってばかりで。

…きっと、天罰でもくだったんだわ」

「おばさ…」

真緒が言いかけるより先に、夏目が続ける

「…会いに行ってあげて?あの子の所へ」

それだけ言うと、儚い笑顔を残して夏目は帰ってしまった


「…会いに行ってあげて、って…あいつ今、どうなってんだよ」

心の焦りがどんどん強くなる真緒

一刻も早く、奈千に会いたい…


「ーーーー奈千!!」


バン!!と開け放たれた扉の向こうには…

上体を起こして沈みかける夕日を窓越しに眺める

奈千がいた


「…」

開け放たれた扉の方へと顔を向ける奈千

「奈千…お前…!」

意識が戻ったことが嬉しくて、ずんずん近付く真緒


しかし…


「…っ、!?」

奈千の様子が、何処と無く変だった

「…奈千?」

真緒の鼓動が、早くなる

「…奈千、聞こえてるよな?」

「…」

何も、答えない…


ゾッとした


あんなによく笑う奈千だったのに

真緒を見て、無邪気に笑う奈千は…

どこへ、行ってしまったのだろう

「…っは……」

口を開きかけ、何かを言おうとする奈千

しかしその表情は無機質で…

以前の奈千とは、比べ物にならなかった

「…な、ち……?」

「…そう、だよ。お前を呼んだんだよ」

「……」

明らかに、不振そうな顔をする奈千

「…っ、……?」

何を言っても無表情な奈千

焦りが出たのか、真緒の頬を冷や汗が伝った

「……あの…」

ゴクリ、と真緒の喉がなる


「……あなた、誰?」