「どうせ分かることだと思うので伝えておきます。
 友恵さんと僕の名誉の為にも。」

 情熱的な時間を終え、まったりと過ごすこの時間もまた好きな時間だ。

 そのゆったりとした流れに反する堅い言葉。
 その内容は耳を疑うものだった。

「初めてのホテルでは何もありませんでした。」

「……え?……はい?」

 何を言って………。
 だってあの時に色々と仕出かしたから、その後も色々とあったわけで……。

 そうね。その『おかげで』現在に至ると今なら思える。

「無粋なことをしました。
 それほどに逃したくなかったのを分かってください。」

 愛おしそうに見つめる桜川さんの手は眉間を優しく撫でる。
 眉間のしわを無くすことが生き甲斐だとまで言ったことがあるほどだ。

 今の私なら「したとかそんな嘘言って!!」とは言えない。
 馬鹿なんだから。とは思うけど。

「私と結婚して子どもが欲しいなんて変わり者もいいとこです。
 結婚不適合者だと思うし……それに……。」

「適合とか不適合とか、そんなのどうでもいいんです。」

 頭を撫でてくれる桜川さんに甘えらて黙っていられたらどんなにいいか。

 これを話したら嫌われるかもしれない。
 軽蔑されるかもしれない。

 でもこの先、もしもずっと一緒にいるのなら話しておかないといけない気がした。

「惹かれてくれた眉間のしわは騒ぎ回る子ども達を蹴ってしまいそうでイライラしていたからなんですよ?」

 あぁ。どう思っただろう。
 子どもを愛せない女なんて私だったらごめんだ。

「何を言い出すかと思えば。」

 にこやかな桜川さんにがっかりする気分だった。
 分かっていない。事の重大さを。

「子どもが好きじゃない女が赤ちゃんなんて……。」

「何を言ってるんですか。
 私だってあの図書館の子ども達はいい加減にしろと思います。
 正直可愛いとは思えません。」

「え……だって桜川さんはお子さんが……。」

「自分の……子どもなら可愛く思えるんですよ。」

 少しだけ寂しそうに笑う桜川さんは続けて「友恵さんとの子どもなんて絶対に可愛いから大丈夫です」と嬉しそうに言うので、寂しそうだったのは気のせいだろうと気にも止めなかった。

「それでも……言ってなかったですけど、私、あの日に借りたかった本は話題になった映画の原作なんです。
『それでも会いたい』知っていますか?」

 話題の映画。原作も話題になった。
 本くらい買えば良かった。
 でも買えなかった。

「子どもに会いに行く感動作らしいですね。」

 そうなのだ。だから……。

「まず映画は見に行けなかった。
 感動しなかったら人間として大事な何が欠落している烙印が押される気がして……。」

「そんな大袈裟な。」

 桜川さんは笑うけど40歳独身女をなめないで欲しい。

「それでも話題作だし気になって原作なら読めるかなと思って。
 それなのに買えなかったんです。
 買って手元に置いておいたら本に襲われる錯覚に陥りそうで。
 子どもに感動しろだとか色々な幻想に付きまとわれるから。」

 一気にそこまで話すと桜川さんの顔が見れなかった。
 蔑んだ眼差しを向けられていたらと怯えて顔が上げられない。