自分なりに清く正しい人生を送ってきた。
 それなのにどういう仕打ちだと言うのか。

「私が妻子ある身だからダメなのですか?
 そうでなければいいのですね?」

 部屋に入ると堰を切ったように言われ、顧みれば穏やかな小川のせせらぎだと感じていた頃が懐かしく思えた。

 本当に穏やかな小川のせせらぎだったかもしれない。
 しかしその流れは永遠に続くことなく、ぷっつりと先が切れて滝に真っ逆さまだった。

 転がり落ちた滝壺から水面に顔を出すことも出来ずに溺れていく感覚。

 経験したことはないけれど、もがけばもがくほど滝底から伸びる水草に足を捕らわれて……。

 それでも。
 動じていない態度を崩すものか。

 アヒルはいくら水面下で必死に水掻きをしていても湖面では優雅に泳いでいるように見せている。

 どうせなら蛙よりもアヒルになりたい。

 みにくいアヒルだとしてもいつか白鳥になれるかもしれない。
 例えそれが白髪のおばあちゃんだとしても人道から外れるくらいならずっといい。

 桜川さんは私の常識の範疇を超えている。

「独身でしたらスタートラインには立てるかもしれないですね。」

 部屋は鍵がかかっていた。
 後から入った桜川さんによって扉が閉められると同時に鍵は自動にかかったのだ。

 それは永久に抜け出せない檻のように。
 みにくいアヒルが囚われる鳥籠は本来なら快適に過ごせる場所だとしても捕食する天敵も一緒とは笑えない現実だ。

 快適に過ごせないか……。
 もう自由に飛び回ることは出来ないのだから。

「私に妻が居なければいいのですよね。」

 念押しされたの声は背筋が凍りそうな怖い言い方だった。

 私と付き合うために奥様を殺したりしないわよね?
 そこまで危ない人ではない……はず。

 結婚。
 それは自由に飛び回ることが出来ない足枷。

 桜川さんはその足枷を無理やり引きちぎろうとしているのか。
 代わりに私に不倫という足枷をつけようとしている。