どのくらい時間が経ったのだろう。
1分くらいなのかもしれない。
けれど、私の思考回路はなかなか動き出さない。
「松本さん?」
課長に声をかけられ、ハッと現実に戻る。
「ちなみにNOという選択肢はないから」
ん!?
それは決定事項って事?
いやいや、ちょっと待って。
「課長、何だかとんでもない言葉が聞こえた気がするんですけど、私の気のせいですかね。あはは…」
課長は真剣な顔のまま。
「結婚を前提につき合ってって事?気のせいじゃなくて本当の事。現実だよ」
気のせいじゃない、現実…。
「課長、私の話聞いてました?私は独りで生きていくって決めたんです。司…彼を失ってそう決めたんです!」
「彼の事もひっくるめて、俺と結婚を前提に付き合う、これ決定事項、以上」
まるで業務連絡みたいな。
「課長、落ち着いて考えて下さい!」
「俺は落ち着いてるけど。落ち着いたほうがいいのは松本さん」
「そんなっ!」
だってワケがわからない。
どうして私?
課長は仕事が出来て、イケメンで、いわゆる優良物件ってヤツなんでしょ?
社内の女性社員たちがほっとかないんでしょ?
私が頭の上にハテナマークをたくさん浮かべていると、
「肝心な事を言ってなかったね。俺、松本さんの事が好きだよ」
課長は私に爆弾を落とした。
「母さんの墓参りをした時、たまたま松本さんを見かけた。声をかけた時、不謹慎にも泣いてる姿に見とれた」
あっ!
あの時、声をかけてくれた人が、まさか課長だった?
「まさか同じ職場で再会出来るとは思ってもいなくて、驚いた。日々松本さんの事を知っていくうちに、ますます好きになった」
課長のストレートな告白が私の心に突き刺さる。
それでも私の心はあの時壊れたまま。
「課長のような素敵な方にそう言っていただけて、嬉しいです。でも私…」
私の言葉に課長は被せるように話す。
「赤ちゃんを見てどう思った?あんな小さくても一生懸命生きてる。必死に生きてる。でも人間って独りで生きてるワケじゃないと俺は思う。誰かに支えてもらって、助けてもらって、時には支えて、助けて。俺は松本さんとそうやって生きていけたらって思ったよ」
「課長…」
課長は私の手を強く握りしめる。
「ちなみに俺、総務部の前は営業部にいたんだけど、狙った獲物は絶対逃がさないってのがモットーだったんだよね。だから覚悟しておいて」
そう言って不適に笑う課長の眼差しから目が離せなかった。


月曜日。

結局あの後、私は明確な返事も出来ないまま、課長に家まで送ってもらい、日曜日は家でひとり、ボーっと過ごしてしまった。

一体どんな顔をして職場に行けばいいのか。
あれこれ考えていても、月曜日は訪れる。
普段通りの格好で、普段通りの時間に出勤した。

デスクに着いて、課長席を見やると、課長はいつも通り仕事を始めていた。
土曜日の事は夢、幻だったのかな。
それでも私の手には課長の温かい手の感触が残っていた。
そう、課長の手はいつでも温かい。
そんな事を考えていると、原田先輩が出勤してきた。
「先輩、おはようございます」
「美咲ちゃん、おはよう」
原田先輩はいつもの笑顔で挨拶してくれる。
「先輩、いろいろご心配おかけして申し訳ありません。私、大丈夫ですから。ありがとうございます」
こんな私の事を気にかけてくれるなんて、本当に有り難い。
素敵な先輩に恵まれて良かった。
「何かあればいつでも言ってね」
先輩は少し照れながら、仕事を始めた。