【トイレの花子さん】


 友だちのはなこちゃんが、トイレに行ったきり戻ってこないから、心配になって様子を見に行くことにした。

 三階の女子トイレ、手前から順にノックをしながら「はなこちゃん、いるー?」と問いかける。
 手前と真ん中は応答なし。最後に一番奥のドアをノックすると、中から「はい……」と微かな声が聞こえた。良かった、返事があった。

「体調悪いの? 大丈夫?」
 問いかけてみると、ドアが微かに開いているのに気が付いた。鍵もかけずにトイレなんて。やっぱり相当体調が悪いのだろうか。

 そっとドアに触れた、その瞬間。

 中から突然手が伸びてきて、わたしは個室に引きずり込まれてしまった。

 だけど中にいたのは友だちのはなこちゃんではなかった。
 赤いスカートにおかっぱ頭をした女性が、俯きながらしゃがんでいる。もしやこの人は、あの有名な、トイレの花子さんなのではないだろうか。

 背中にたらりと、嫌な汗が伝う。

 が、どうも様子がおかしい。

「あ、あの……」
 声をかけると、花子さんがゆっくり顔を上げる。その顔を見て驚いた。

 白髪交じりのおかっぱ頭と眉毛、深く刻まれた皺、垂れ下がった目元、入れ歯なのか口元がかこかこ鳴っている。
 誰だ……!

「あの有名なトイレの花子さんだよ」
 老婆が入れ歯をかこかこしながら言う。

「最近は誰も呼んでくれないから困っていたんだ、おまえさんちょっと用事を頼まれてくれるかい? ドラッグストアまでひとっ走りして、白髪染めを買って来てほしいんだ。色は若く見えるものなら何でもいいよ」
「あ、はい……」

 こうしてわたしは、めちゃめちゃ喋る老婆の花子さんにおつかいを頼まれたのだった。


 トイレに戻ると花子さんはすぐに白髪を染め始め、話をしてくれた。
 どうやら花子さん、学校のトイレに棲み付き早数十年。すっかり年をとってしまったらしい。

 学校の階段が広まった昭和の頃や平成の初期の頃は頻繁に呼び出されていたけれど、最近ではほとんどなくなってしまった。たまに呼び出してくれる子がいても、悲鳴をあげて逃げてしまう。だからおつかいを頼むこともできず困っていた。

 と。花子さんは寂しそうに言った。

「でもおまえさんが来てくれたからもう安心。これからもよろしく頼むよ」

 目を細めて優しそうな顔で笑う花子さんを見たら、つい「はい」と頷いてしまったけれど……。

 結局のところ花子おばあちゃんのパシリだよね、これ!
 なんてことだ、友だちのはなこちゃんを探しに来たはずが、花子おばあちゃんのパシリになってしまった!

 花子さんは入れ歯をかこかこしながら笑って、掃除用具入れから湯呑と急須を取り出した。





(了)