小林家では、祖母が嫁ぐ前から米ばかり作っていた。
小林家だけでなく、村全体が稲作だった。
村から町になり、昭和四十六年ころに休耕による米の生産調整で小林家では豆やそばを作るようになって。後に様々な野菜を作るようになった。

「ばあちゃんの旦那さんが亡くなってから、ばあちゃんはお前の父さんの言いなりになってずっとやって来た。父さんのやることなすことに文句をつけたり反対したりして父さんに農業をやめられたら、家がつぶれてしまうから」