「ばあちゃんが小林家へ嫁いだのは二十四歳の時。数えでは二十五歳。

いまから六十四年前の、昭和二十八年二月十八日。

雪がしんしんと降る中を馬ソリに引かれて、慣れ親しんだ実家を後にしたのをいまでも覚えてるよ」




「昭和四年の六月二十五日に、富良野市(当時はまだ、『富良野町』だった。)郊外の山間にある農家である福永家の次女として、ばあちゃんは生まれた。

ばあちゃんは男女合わせて十一人兄妹の、上から三番目だった。

うちは最初はいもや小麦を作って生計を立てていたけど、そのうち土地を借りて米も作るようになり、後々には西瓜だけを栽培するようになっていった。


決して裕福な家庭ではなく、それでも当時は小学校の六年間は義務教育だったので通わせてもらってはいたものの、小学校に上がってからも学業よりも農作業が最優先だったので、学校の勉強にはなかなかついていけなかった。

その代わり、足はけっこう速かった。
日頃の農作業の手伝いや、うちから学校まで歩いて三十分くらいかかる距離をだいたい走って通っていたから、そのせいかもしれないね。

当時は、町の周りの小学校に遠征し合って、相手校の児童と競走するという、練習試合のような行事(?)があり、各小学校の精鋭が町内の小学校に集まって競走するという大会(?)が毎年のようにあって、ばあちゃんはそこそこの戦績を残していたよ。

小学校の六年間を修了すると、中学校には上げてもらえず。
家事や農作業の手伝いや、下の子たちの面倒をみるのが、ばあちゃんの日課になっていった」