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目を閉ざした。


何も見えないように。


耳を塞いだ。


声が聞こえないように。


口を閉ざした。


泣き叫ばないように。


身体を丸めた。


何も知らぬ赤子のように。



「そうやって、逃げる物語さ。」


と、隣を歩く同級生は続けた。





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「へぇ。意外だわ。」


てくてく、と並んで歩く影は二つ。


小鳥がチュンチュンと歌い、空は水色と群青が混ざったような色で私たちを見下ろしている。


澄んだ空気の中、パシャリ、と水溜りを踏みながら横を見上げると、


「ん、何が?」


首を傾げられた。


その仕草でサラリ、と色素の薄い自然な茶色の髪が揺れる。


女の子みたいに伸ばせば、さぞかし綺麗なロングストレートヘアになること間違いないわ。


そんなことをぼんやりと思いながら、私は続けた。


「あなたなら、もっと変なのを読んでると思ったのよ。」


「失礼な。」


フッ、と鼻で笑われる。


言葉ではそう言いつつも、あまり気分を害した様子はない。


隣を歩く男子……篠田 零(しのだ れい)は、顔が整っている。


この人は美男子か?と聞かれたときに、ほとんどの人がそれを認めるだろう。


スラリと高い背。


切れ長の、何を考えているのかよく分からない瞳。


整った鼻梁。


小さな顔。


……悔しいが、非常に悔しいが、私もそれは認める。


少なくとも、顔だけは。


問題は、こいつの性格だ。


「俺は、真面目だからね。変なものなんて読まないよ、君と違って。」


……ほら、一言多い。


ニヤリ、と。


そんな笑い方をしながら。


いつも、こいつはこんな言い方をするのだ。


……私は、この笑みが嫌いだった。


「よく言うわ。私はともかく、あなたが真面目なところなんて見たことないわよ、ゼロ。」


冷めた目をすれば、再びフッと笑われる。


ゼロ。


それが、彼のあだ名だ。


零だから、0で、ゼロ。


いつからそう呼ばれているのかは知らないが、少なくとも中学校でもそう呼ばれていた。


「……まったく。なんで中学のときから毎朝毎朝ずっと、嫌いなあなたなんかと一緒に登校しなくちゃならないのよ。」


ピョン、と。


今度は水溜りを飛び越えながら、私は唇を尖らせる。


それは独り言のつもりだったが、ゼロにははっきりと聞こえていたようだ。


「はいはい。とりあえず、文句は俺じゃなくて自分自身に言いなね。むしろ俺は、君に感謝される立場だと思うんだけれど。」


「誰があなたなんかに。」


フイッと顔をそらす。


ゼロとこうやって一緒に登校するのは、私の母さんがゼロにそれを頼んでいるからだ。


なんでも、一人にするのが心配らしい。


過保護な、と思わなくもないが、あまり強くも言えない立場だ。


というのも、小学校の卒業式の朝、私は大事故にあったらしいからである。


らしい、というのは、覚えていないからだ。


物語でありがちな、記憶喪失というもの。


だから私は、中学生よりも前の記憶がないし、思い出せない。


……まぁ、大したことのない記憶ばかりだとは思うが。


そういう理由で、学校へ行く道の途中に私の家があるゼロは、毎朝わざわざ私を迎えに来る。


ありがたい、と本当は心では思っているが、こいつにそれを口に出して言う気にはなれなかった。


「大体あなた、いつも来るの早すぎよ。今日なんか、約束の十五分も前だったじゃない。日に日に早くなってない?」


「あれ、気づいてたんだ?わざとだよ。」


「……どういうこと?」


「分からない?」


そこで、再びニヤリ、と。


彼がその表情をするたびに、嫌な予感がする。


というか、嫌な予感しかしない。


案の定、


「君に『もう、時間!?』と焦らせるための嫌がらせだよ。」


「…………。本当に、性格悪いわよね。」


だから嫌いなのよ、と私は顔をしかめる。


ニヤリと笑いながら意地悪するのが嫌い。


無駄に顔が整っているのが嫌い。


中学一年生の頃は似たような身長だったのに、今は背伸びしても届かない高い身長が嫌い。


飄々とした声が嫌い。


……本当になぜ、毎朝一緒に学校へ行くのがこいつとなのか。


ため息が出てくる。


「まぁ、その待つ時間は俺の読書タイムだから、有意義な時間なんだけれどね。」


「あなたはそうかもしれないけれど、人のことを考えなさいよ。母さんに『ゼロ君、来たわよ。』って毎朝、急かされるんだから。」


「君、日本語分かってる?嫌がらせって俺は言ったと思うけど。」


「最っ低ね。」


もう、この言葉を何回言ったのか分からない。


そう、最低。


ゼロは意地悪だ。


昨日だって、学校の自動販売機でお茶を買おうとしたら、いつの間にか後ろにいたゼロにお汁粉のボタンを押された。


そして、学校の自動販売機はくじが付いている。


何が言いたいかというと、いつもは全く当たらないくせに、昨日に限って当たったのだ。


……しかも、大当たり。


ガシャンという音と共に、三本のお汁粉の缶が出てきた。


それを見て笑うゼロの黒い笑みを、私はきっとずっと忘れない。


思い出すだけで、腹が立ってくる。


「君、凄い顔だよ。」


……思い切り、半眼で睨みつけてやった。


誰のせいだと思っているのか。


早歩きで置いていってしまおうか、という考えが頭によぎる。



そうする→「2、なずなside」へ
そうしない→「3、なずなside」へ



……うん、それがいい。


早速、その一歩を踏み出そうとして______


「はい、ストップ。」


「きゃっ!」


ぐいっ!


急に腕を引き寄せられたのと、私の短い悲鳴。


そして、先ほどまで私がいた場所を車が通って行ったのは、同時だった。


「…………。」


「君って、そんなに事故が好きなの?さすが、変わってるよね。」


驚いて何も言えない私。


そんな私の腕をさっさと離して、歩いていくゼロ。


……掴まれていた手首が、熱を持つように熱い。


胸の鼓動も速く。


そして、頬の熱が少しだけ上がった気がする。


……きっと、気の所為だ。


そのはずだ。


「……もう、お礼くらい言わせなさいよ。」


だから、嫌いなのよ。


誰にも聞こえないような声で呟いてから、私はその背中を追いかけた。