「ねえ、湊くん」

何事か考えているときの湊くんはら、だいたいいつも反応しない。

「湊くん」

私を残して時間が止まったのかと思うほど、ピクリとも動かない。

「湊ぉぉっ!」

再び大声を出したのに、それでも一拍遅れて振り返った。

「……俺?」

「だから他に誰がいるのよ」

振り返った顔はやっぱりイケメンでも何でもなく、いつもの見慣れた湊くんだった。

「今まで確認したことなかったけど、湊くん、彼女いる?」

「いない」

「だろうね」

「失礼だな」

「じゃあキスしても問題ないよね」

やっぱり私ひとりを残して時間が止まってしまったらしい。
湊くんは生理現象であるはずのまばたきすらしていないのだから。

「…………………………………酔ってる?」

時間はしっかり流れていた。

「飲み会帰りだからね」

「なんでそうなるの?」

「いろいろあって、過去を消し去りたい気分って言うか」

「ああ、『振られた』って騒いでたっけ」

「『振った』の!」

「誰でもいいなら他を当たって欲しいんだけど」

「誰でもいいわけないじゃない。湊くんがいい」

脳を介さず脊髄反射で会話していたら、私自身も思いがけない事態に発展していた。
あいつとのキスを上書きしたいのは本心だけど、まさか本気で相手を探していたわけではない。
それなのに、湊くんを見て、何かのスイッチが入ってしまった。
アルコールが自制心まで泥酔させている。

「キスだけだから。すぐ済むから。入社したとき手伝ってあげた恩を返すと思って! お願い!」

拝むように手を合わせ、どこの色情魔かというセリフを、酔いに任せて同期に吐く。

「俺よりもっと適任がいると思うけど」

「湊くんがいいんだってば! 他のひとじゃヤダ」

さすがの湊くんも動揺しているらしく、しばらく固まっていたけれど、何も言わずにイスをクルリと回転させて私と向き合った。
そしてそのままじっと座っている。
呆れているのか、驚いているのか、恐らく両方だろう。
だけどこの態度を、私は都合よく了承と受け取った。
膝の上に乗り、吐息がかかる距離で一応確認する。

「セクハラで訴えたりしない?」

「そんな面倒なことしない」

合意は得たので、気持ちが変わらないうちに、と動かない彼の唇に口づけた。
湊くんの唇はカサついて、少し堅くて、置物のように何の反応も示さなかった。
キスを深めようとすると、拒絶するようにメガネが邪魔をするので、一旦離れてそのメガネをはずした。

「重ね重ね申し訳ないんだけど、もう少し反応してくれる? これじゃあ衝突と変わらないもん」

湊くんはやっぱり答えず、ゆっくり一度まばたきをした。
そのタイミングでもう一度口づける。
今度は私を受け入れるように少しだけ口が開いた。
それでも物足りなくて、薄く開いていた湊くんの目と目を合わせる。

(もっと本気出してよ)

下唇を噛みながら目でそう訴えると、視線を外すようにして湊くんは顔の角度を変えた。
その途端、ただの衝突は突然キスに変わった。