主役はとても忙しく、通帳残高を思い出す前にお呼びがかかった。
有坂さんと梨田くんが去って行くと、湊くんがすかさず尋ねてくる。

「現金積まれればクラッと来るんだ?」

「300万はクラッとくるでしょ。でも人生渡す金額じゃないかな」

「人生渡す値段っていくら?」

今度は本当にネクタイを引っ張った。

「湊くんが私に払った値段だよ! 全部で3万円くらいだったかなぁ! ねえ!」

湊くんが側にいることに気を良くして、プロポーズさえ自分でした。
そして、それだって甘やかなものではなかった。

『結婚するなら条件がある』

偉そうな湊くんの『条件』という言葉に、ピリッと緊張が走った。

『絶対に俺より長生きして』

『湊くんの方が年上じゃない』

『女性の方が平均寿命長いから大丈夫。あやめがいなくなったら暇だから』

『残される私は?』

『あやめは一人でも大丈夫だよ』

『じゃあ私が死ぬ時は迎えにきてね。成仏の仕方知らないから』

『マニュアル送るよ』

とりあえず、入籍してすぐに湊くんの死亡保険を増額しておいた。

情緒のない結婚だったせいか、お祝いの会も情緒なく焼き肉店で(幹事はもちろん岩本さん)。
こんな風に華やかに祝ってもらう機会なんて、もはや葬儀くらいしかないかもしれない(もちろん大往生を予定)。

「3万円じゃない。俺の保険金も含めて、遺産の半分はあやめに渡すんだから」

「あ、本当だ」

ちょっと納得しかけたけど、それなら有坂さんの彼女は札束タワーをいくつもらうことになるのか……。
虚しいので考えるのはやめた。

「羨ましいよね」

文句を言ってやろうと思ったけど、その声と言葉に阻まれる。
有坂さんの姿を追って、湊くんの目は寂しげに揺れていた。

「湊くんが羨ましいのはタイトルでしょ? 私が羨ましいのはお金だよ」

「俺がもっと勝てれば、もっとお金も入るよ」

「羨ましいとは思うけど、別に今に不満があるわけじゃないし。私はどっちでもいい」

一年十カ月で、湊くんはフリークラスを突破した。
そして今、C2順位戦をまさかの爆進中。
普通のサラリーマン程度には収入があるから、問題なくやっていけている。
この子を産むのにも何の心配もない。ただ、湊くんの想いは違う。

「湊くん。子どもがいると家の中騒がしくなるよ?」

日に日に重くなる身体が、そのまま湊くんの負担になるんのではないかと、それが一番心配だ。

「今でも騒がしいから大して変わらない」

「これでも気を使ってるよ!」

「気を使った人間が研究中の盤の上で寝る?」

「だって見てたら眠くなったんだもん! 妊婦ってすぐ眠くなるからダメだよね」

「妊娠のせいじゃないよ」