そんな私は「家庭」と言ってもよいのか不安になる生活をしていました。
あなたと、あなたの親にあたる私と。

と言っても実際、アパート暮らしですが一室を持ち、そこであなたと食べたり寝たりをして生活をしているので「家庭」と呼べる環境にいたのかもしれません。

しかし、どうにも「家庭」と呼ぶにはしっくりいかないところがありました。

私のお隣に住む方々がよっぽど「家庭」らしかったからです。

お隣さんはヤナギさんと言うそうで、越して来た私の部屋へ、菓子よりを持っていらしたのです。

格好の良い夫と可愛らしい娘を連れて。


見るからに優しそうな奥様で、私より歳は少し上くらいだとは思いますが、肌のお手入れをされているのか、みずみずしい潤いを持ったお方でした。


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ごめんくださいね。あら、まだ荷下ろしが終わってなかったですか?

ほら、だから言っただろ。来週にした方がいいって。

そうね、あなたの言うことを聞いておけばよかったかしら。いきなり訪ねるのは不謹慎ですものね…。
でも、せっかく出て来てもらったんですもの。
あの、隣のヤナギと言います。ずっと隣が空いていて、最近人が入ったと聞いたもので。こんなつまらないものですが、よかったら頂いてくださいね。先日京都に行ってきましたの。それで、そこに売っていた限定の……。

おいおい、長話はよせよ。まだやる事もあるだろうし、引き止めたら悪いだろうよ。

そ、そうね。私ったら、いつもこんな感じで主人に怒られてばかりだわ。
こんな隣の者ですが、よろしくお願いしますね。なにか困ったことがあれば、気軽に尋ねてくださいね。
ほら、ヨウちゃん、挨拶。

おねがいします!

では、僕らはこれで。引き止めてしまって申し訳ない。

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なんと微笑ましい一家なのでしょう。
これぞ私の思い描く理想というべき「家庭」であります。

しかし何故でしょう。

微笑ましさを感じると同時に、何か違うものも感じました。

なんと言えばいいのでしょう。

この気持ちを言葉で表現するにはあまりにも淡く、あまりにも複雑でありました。


「微笑ましい」と言う透明度の高い水辺に、黒いインクが一滴溢れ落ち、波紋が出来るあの感覚です。

と言われてもきっと分からないでしょう。
なにせ、私自身が分かっていなかったものでしたから。