「———唯理さん。今日は、帰りたくない」



また一つ、ワガママを言う。



いつから私はこんな人間になってしまったんだろう。



いい子であればあろうとするほどに死んでいく感情。



「あんな母親がいる家には、帰りたくないの」



私は縁石から下りると彼女の手に触れる。



困り果てた彼女はそれでも手を握って笑顔をくれる。



「お泊まりがよかったらお兄さんにちゃんと言わないとね。心配させたくないでしょ?」



いつだって唯理さんは優しい。



「お家に、帰ろう?」



その潤んだ瞳に私だけを映して、私のそばに寄り添ってくれる。



それなのに私は、今もこうやって優しくしてくれる彼女を困らせている。



彼女との時間を弄《もてあそ》んでいる。



「………ごめん。唯理さん」



私は醜くて、幼い。



どれだけあがいて見せてもこんなちっぽけな私は何もできやしない。



「———私ね。夏休みが終わったら、東京の学校に転校するの」



せいぜい何も言わずにじっとしているか、何か言えたとしても私に優しくしてくれるヒトを困らせることしかできないんだ。



それならば私は、私の大好きなヒトを困らせない生き方をするしかない。



大好きなヒトを大好きなままで憶えていたいから。



だから私は彼女といる、この瞬間を忘れない。