第十話 シュウという人物

真夏の太陽が照りつける季節

それなのに関わらず、彼は灰色のフードを目深に被り、黒いゴツめのヘッドホンをしてメインストリートを歩いていた

「…あっつ」

小さく呟く彼は、とあるカフェへと足を運んだ

「いらっしゃいませー」

クーラーの効いた店内はとても涼しく、彼は一番奥の席に座る

「ご注文はいかがなさいますか?」

バイトらしき女性店員が水とおしぼりを持ってやって来る

「…ブラックで」

「かしこまりました。少々お待ちくださいね」

店員が去った後、彼は目深に被っていたフードを脱ぐ

「…うわ、あの人超イケメンなんだけど!」

「ねぇ、あんた話しかけてきなよ!」

「無理無理!しんじゃうって!」

遠巻きに見ていたほかの客が彼を見て目を奪われる

「…うざ」

黒のタンクトップ姿の彼は持っていたリュックからノートパソコンを開き、画面に集中する


と、そこへ…

「よう!」

「…今日も来たのか」

「来ちゃ悪いのかよ〜冷たいなぁ」

彼の前に、一人の青年が座った

「あれ、シュウ今日はそのうっとおしい髪くくってんのな!」

青いメッシュの入った黒髪を後ろでしばっていた彼

しかし長さが足りないのか、所々無造作に落ちている

「…ほっとけ」

「シュウも俺みたいに明るい色にすればいいのに〜

…あ、赤とかどうよ?思い切って短髪にしてさ!」

「断る」

「なんで!!」

「…あまり目立ちたくないんだ」

シュウと呼ばれたこの人物と目の前に座る短髪ブロンズの彼、グレイ

シュウがこの街に来て最初に出来た知り合いである

「それにしてもさ〜ママから聞いたぜ?

お前、珍しく店で一悶着あったんだって?」

後ろにのけぞりながらグレイが言う

「…言うほどでもない」

「ふうん…にしては、随分とご機嫌ななめだね?いつもに比べて」

シュウの顔色を見ながらグレイがガタン、と元の位置に戻る

「…詩音が、店に来てた」

「……は?」

「前言ってた幼馴染み、僕を探しにママの店まで来てたんだ」

「いや、ちょ…待て待て待て!
お前の幼馴染み、日本にいるんだろ?

しかも何でママの店が分かんだよ?!」

動揺しまくるグレイ

珍しく、シュウも動揺しているようだった

「もう二度と、会わないって決めたのに…」

パソコンを閉じて頭を抱える

「…その幼馴染み、お前に会いたくて会いに来たんだろ?

なら、会ってやりゃいーじゃねえか」

シュウのコーヒーがきたので自分のもと注文を頼む

「…無理なんだよ、こんな姿じゃ…」

自分の身体に目を落とし、窓の外に視線を移すシュウ

「…瑠璃、それが僕の本名。
あいつは瑠璃だった頃の僕を探しにここまで来てくれたんだ

…でももう、瑠璃だった頃の僕はいないんだ」

「…まあ、会いづらくもなるか」

数年前に日本にいた頃、家で母親と見たニュースの特集を思い出す

「でもシュウ、お前はまだその…手術とかする気、無いんだろ?」

「当たり前だ。

…僕は、自分がどちらなのかまだ分からない
分からないから、もうこのままでいいって…そう思ってる」

ブラックコーヒーに目を落とし、カップに口をつける

「まあ…お前が良いならいんじゃねーの」

グレイもそんなシュウを見て、小さく笑う

「だけどな」

「?」

「その幼馴染み、お前を探しにどれだけの時間を費やしたか…お前は分かってるか?」

「…っ、!」

「きっと、途方もない旅だったと思うぞ

…何も情報が無い一からの状態で、よくお前を見つけたもんだよ」

「…」

「優しくしてやれよ、とは言わない
だけど…その幼馴染み、お前にとって大切な人なんだろ?

なら、大事にしてやんねーと後悔するぜ?」

笑顔でそう言うグレイが眩しかった

「…今日もう一度、店に行く」

「何なら俺もついて行こうか?」

冗談のつもりでグレイは言ったが…

「…あぁ、頼む」

口をあんぐりと開けたグレイに構わず、シュウはコーヒーを飲み干した


その夜

シュウはグレイと例の店へと足を運んだ

「…」

予想通り、詩音はライアンとかいう男とまたこの店に来ていた

「…少し、話がしたい」

そう言うと、カウンターに座っていた詩音は小さく頷き、シュウと奥の部屋へと消えて行った

「…それで、君は?」

ライアンがグレイに話しかける

「シュウの友達。グレイです」

「僕はライアン。彼女の同行者だ」

「…同行者?彼氏とかじゃなくて?」

グレイが首を傾げる

「…彼女は、きっと彼しか見えてないからね。
僕なんかじゃ、相手にされないよ」

ライアンのその言葉に、グレイはハッとする

こいつ…あの女に惚れてんのか

それと同時に、シュウへの思いも変化する

「…あんた達は、瑠璃を探しにここまで来たんだっけ?」

「やはり彼は…瑠璃なんだね?」

ライアンが尋ねると、グレイは小さく笑う

「…今はシュウって名前。

あいつこっちに来てから何度か整形繰り返してんのに…あの子、よく分かったな」

初めて再会した時、詩音が大粒の涙を流していたことを聞いていたグレイ

「あの子は日本で医者をしているらしい」

「医者か…納得」

そんな話をライアンとグレイがしている一方で…

シュウと詩音は、気まずい雰囲気になっていた


店の奥の部屋まで振りほどけないほど強い力で詩音の手を引いてきたシュウ

「ちょ…痛い、痛いってば!」

「…うるさい」

さらに力を入れたシュウに引かれ、向かった先は部屋の中央にキングサイズの大きなベッドがあるだけの部屋

壁紙からベッドから全てが真っ黒なその部屋は

…詩音を、不安にさせた

「…あなた……」

「…久しぶりだね、詩音ちゃん」

「やっぱり…!」

被っていたフードを脱ぎ、長い前髪をかきあげるシュウ

「今はシュウって名前。
昔より少しはかっこよくなった?」

彼の顔があらわになる

「瑠璃あなた…整形したの?!」

「…まあ何回か」

まじまじと彼を見ると、昔の可愛さとは別に、違う色気さえ見えた

「…それで、詩音ちゃんは僕に何の用でこんな遠くまで来たの」

「あなたを日本に連れて帰るためよ!

…おばさん達もみんな、あなたを心配してるの」

「…あぁ、そういう事」

また再会した時のような冷たい目に戻るシュウ

「帰らないよ、僕」

「帰らないって…みんなあなたを待ってるのよ?!」

「…どうして詩音ちゃんにそこまで縛られなくちゃいけないの」

悲しげな瞳で、詩音をベッドへと押し倒す

「ちょ、…瑠璃!待って、
あなたに一体何があったの…?!」

詩音を見下ろす彼の目は、何も映していなかった

「…何があったか、だって?」

顔色を変えずにシュウは零す

「…僕は、自分が何なのか分かんなくなった」

「…?」

「僕がまだ日本にいた頃、あるニュースを見てね

…自分が男なのか女なのか、分からなくなった」

シュウの言葉に、ある言葉が脳裏に浮かぶ

「…性同一性障害?」

「そう。

僕は、自分がもしかしたらそれにあたるんじゃないかと思ったんだ」

誰に会っても恋愛感情が芽生えなかったこと

周りの男子のような気持ちがさっぱり理解出来なかったこと

誰かを好きになったりその先をしたいとか…思ったこともない

そんな話を、シュウは淡々と口にした

「…どう?これでもまだ、無理矢理日本に連れて帰る?

このままの状態で連れて帰っても、母さんやみんなが受け入れられないと思うんだけど」

部屋に置いてあったペットボトルの水を仰ぎ、詩音に視線を移す

「…」

詩音は予想外の展開に当然のごとく、信じられないようだった

「…詩音ちゃんに、無理に受け入れてもらおうなんて思ってないからさ

そんな難しい顔、しないでよ」

先程とは変わって、昔のように静かに微笑み詩音の頬に手を添える

「…ちゃんと本当の自分を見つけたら、日本に必ず帰るから」

遠いこんな所まで探しに来てくれて、ありがとう

彼はそう言って、詩音を残して部屋を出た


「…あれ、もういいのか?」

店の奥から出てきたのはシュウ一人

「あぁ。…それじゃ、今日はもう帰るから」

「またいつでもいらっしゃい」

バーボンがひらひらと手を振ってシュウとグレイは店をあとにした

「…詩音は、まだ中ですかね」

心配になったライアン

そわそわして落ち着きのない彼が微笑ましく、バーボンはライアンを奥の部屋へと案内した

「…っ、詩音!!」

堪らずライアンは詩音の元へと駆け寄る

「大丈夫だったか?!何も無かったかい?!

…詩音、僕の声が聞こえているかい?!」

ライアンがどんなに詩音に呼びかけても、放心状態の詩音に届いたのはそれから数十分後だった


「…そんな事が……」

詩音から全てを聞いたライアン

信じたくない詩音は続ける

「…本当は、受け入れてあげなきゃいけないって思ってる

思ってる…けど…でも……!!」

ライアンを見上げた詩音は泣いていた

「私だって、遊びで瑠璃と付き合ってたわけじゃない!!
幼馴染みじゃなかったとしても、私は瑠璃が好きだった!!!」

長年の想いが一気に溢れ出し、止まらない涙

「…ヘタレで泣き虫で一人じゃ何にも出来ないくせに……

笑顔が可愛くて…いつも私の後ろをついて…くるような…」

嗚咽が混じり、上手く言葉に出来ない

「…ねぇ、ライアン……」

「…」


「私…どうしてもっと早く気づいてあげられなかったのかなぁ……」

瑠璃への想いが溢れた詩音

最後に残ったのは…


気づいてあげられなかった、瑠璃への後悔だった


「…なぁ、シュウ?

結局お前はどうしたんだ、あの子と」

帰り道

珍しくヘッドホンを首から下げてフードも被らないシュウ

「…どうしたって、そのままだよ」

「…日本には、まだ帰らないって事か?」

「…今帰ったところで、誰が今の自分を受け入れてくれるんだよ

帰っても、今のままじゃきっと居場所が無いよ」

「シュウ…」

寂しげなその瞳を…

物思いにふけるその横顔を…

グレイは、何度も近くで見てきた

「ちゃんと、自分に決着がついたら日本に戻るって約束してきたんだ

…なるべく早く、ケリをつけたいし」

「…まあ、あんまり焦らずにな

シュウはシュウなんだから、な」

「…あぁ」

詩音は、こんなカミングアウトを聞かされて…どう思っただろう

気持ち悪いと思った?

偏見を持った?

…どちらも、当たって欲しくは無いがないとも言いきれないのが現状で。

「まさかこんな所にいた幼馴染みがそんな悩み持ってたなんて…

普通じゃ、考えらんないね」

苦笑いしながらシュウが言う

「そりゃそうだろ〜

死にものぐるいで探し出した幼馴染みが予想外の現状送ってんだからさ」

「…受け入れてもらえんのかな、俺」

不安になるシュウ

やはり、昔の性格はまだ少し残ったままだった

「大丈夫!

…シュウの大事な人なんだろ?
それならきっと、時間はかかるかもしれないけど絶対に分かってくれるさ」

グレイの笑顔に背中を押され、少し安心したシュウ

こうして、彼らの歯車は再び動き出したのだった