ただの悪質な悪戯。そう思いかけていたときだったから、それを見たときのショックは最初の比ではなかった。

「うそ……」

私はそれきり絶句してしまった。入口ドアには数十枚の紙がびっしりと貼られている。文章はどれも同じ。

『早く出ていけ!別れろ!別れろ!』

前回と同じ赤いマジック、怖いほどに強い筆跡。同一人物で間違いないだろう。愉快犯や悪戯ではない。これは明確に私に向けられた悪意だ。

足がガクガクと震え出す。それはあっという間に上へと伝わっていき、恐怖が私の全身を支配する。

なにかに急き立てらせるように、私は必死でその紙を剥がした。

(知りたくないとか言ってる場合じゃない。これは光一さんにも、警察にも
連絡しなきゃ……)

すべて剥がし終えると、バッグの中のスマホを取り出し、光一さんを呼び出した。前回とは違い、すぐに彼の答える声がした。

『もしもし』
『も、もしもし。光一さん!?』
『華か。悪いんだけど、いまちょっと取り込み中でさ』
光一さんはなにかに配慮するように、小声でそう言った。
仕事中だろうか。
かけ直して欲しいという彼の意思は察したが、こちらも緊急だ。
私は無理やり話を続けようとする。

その時だった。電話の向こう側の声がはっきりと聞こえた。

『ちょっと、光一ってば。リョウが泣いてるから抱っこしててよ』
『ふぇ~ふぇ~ギャーン』

ーー聞き覚えのない女の人の声と、赤ちゃんの泣き声。

『悪い。こっちからかけ直すから』
彼のその言葉を最後まで聞くことなく、私の手からスマホが滑り落ちた。
地面にたたきつけられ転がったスマホは、それでも、『華?』と呼びかける彼の声を届けてくれていたけれど、私はもうなにも聞いてはいなかった。

目も耳も心も、すべてが機能停止したように真っ暗だった。防衛本能ってやつかもしれない。