「―――唯、ちょっとこっちこい」
 慎司が眠る箱から離れようとしない唯の腕を無理やり引っ張り、勇介は怒鳴った。その声は葬儀場に響き、一気に注目が集まった。
 そんな視線など気にせず、勇介は続けた。
「いつまでそうしてるつもりだ。英司だってちゃんと立って仕事してるんだぞ。お前がそんなんじゃ、慎司さんは悲しむだけだ」
「いや、離して!」
 唯は抵抗した。必至に慎司にしがみつき、離れようとしない。
 そんな唯に、勇介は優しい口調で『唯』と呼んだ。掴んでいた腕も離し、静かに腰を下ろして同じ目線になって、また唯の名前を呼んだ。
「唯、慎司さんから、お前に渡すものがある」
「え?」
「ここだとカメラとか親戚とか厄介だろ。無理強いはさせたくないんだ、頼むからちょっと来てくれ」
 さっきまで泣きじゃくっていた唯も、さすがに『慎司』の言葉には反応したようで、まごまごとした様子で迷っているようだった。
 勇介は唯の手をそっと掴み立ち上がらせると、唯の目の前で穏やかに笑って見せた。
「お前の悲しみを俺はわかってやれないけど、助けてやることはできる。ちょっとだけ俺を信じて、付き合ってくれ。慎司さんからお前への、最後のメッセージだ」
 唯は涙でぐちゃぐちゃな顔のまま頷くと、勇介に手を引かれながら葬儀場の裏にある庭のような場所に移動した。そこには小さな池もあって、鯉も泳いでいた。さっきの騒がしさが嘘のように静かで、唯をこの場所へ連れてこれてよかったと、勇介は思った。正直、ここにこんな場所があるなんて勇介は知らなかった。人目を避ける為に連れてきた所が偶然いいところで、内心ほっとしていた。
 その景色を見渡して、ふたりは無言になった。
「………唯と、ふたりで話すのって、実はすげぇ珍しいな」
 なんとなく沈黙が耐えられなくなり、勇介は口を開いた。
 すぐに慎司の話を要求されるかと勇介も思ったが、さっきまで狂ったように泣いていた相手にすぐあのピアスを渡すのは逆効果な気がして、まずは落ち着かせたいと勇介は考えていた。
それに、成り行きとはいえ、手はそのまま、繋いだままだった。唯の体温が直接勇介にも伝わっていて、勇介にはそれが心地よく感じられた。もし唯も同じように思ってくれていたらいいなと、離そうとしない手に暖かさを感じながら勇介は思った。
「お前が選手やめたのって、小5だっけ?それまでは結構話したり遊んだりしてたのにな」
「別に、無視したりしてたわけじゃないけど……そういう年になったってことでしょ」
「そーかもな。だってお前、急に大人っぽくなったもんな。中学入ってすぐの研修旅行でさ、俺の周りはみんなお前が一番可愛いって言ってた」
「なにそれ。今更褒めたって遅いんだから。勇介は女の子に興味ないし、あたしのことも英ちゃんのオマケとしか見てなかったくせに」
「お前だってずっと慎司さんにべったりだったじゃ…」
 と、勇介はそこでハッとした。この手の話題は今、タブーだったと、口走ってから気づいたのだ。
 勇介は恐る恐る唯の顔を見ると、唯は無表情のまま遠くを見ていた。
「勇介と、こうやって話すのが久しぶりなんて、今、気づいたよ」
「どういう意味だよ」
「だってずっと、あたしはお兄ちゃんしか見てこなかったから。お兄ちゃんが全てで、あたしを支配してたんだもん」
 夕日のオレンジ色が、唯の横顔を明るく照らした。
 その横顔の頬から、ツーっと液体が落ちた。
「あたしたち、本当の兄弟じゃないの。それを知ったのは、小5のとき。ほら、あたし花火で結構酷い
火傷したじゃない?そのとき病院でね、お兄ちゃんたちが話してるの聞いちゃったの」
「唯…」
「でもね、悲しくなかったの。逆にね、本当の兄弟じゃないんだって知って、嬉しかった。これでお兄
ちゃんのお嫁さんになれるって、そんなこと夢見てたの」
 唯の瞳から、次々と涙が落ちた。視線は遠く、夕日を見たまま。
「だってお兄ちゃん、そのときパパとママに言ってくれたのよ?『嫁の貰い手なんて俺がいる。血なんて繋がってないんだ、俺が貰う』って。火傷のことよりずっとずっと嬉しかった。今はもう、お兄ちゃんの気持ちなんてわかんないけど、あたしは本気で、本当にお兄ちゃんが好きだった」
 繋いであった手に、きゅっと力が込められた。唯はとうとう下を向き、地面に叫ぶように涙を落としていた。
「お兄ちゃん…お兄ちゃん…」
 唯はまた、さっきのように泣き出した。
 唯が本気で慎司を好きだった気持ちが、勇介にも痛いほど伝わった。でも正直、勇介は異性をそこまで好きになったことはない。英司や他の仲間が女の話をしていても、ふーんっという感じで、格別興味はなかった。だからきっと唯のこの気持ちも半分くらいしかわかってやれないのかと思うと、勇介は悔しかった。目の前の幼馴染は、自分よりも一歩も二歩も先に進んでいる。そしてそれは、勇介のわからない領域だった。
 勇介は直登から預かったピアスをポケットから取り出すと、唯と向き合う形になってその箱をそっと開けた。もう自分にはこれしかできないと、勇介は自分の無力さを感じた。でも、それで唯が救われるならと、その輝くピアスの意味を唯に話した。
「慎司さんからお前への、クリスマスプレゼントだってさ。直登さんから預かった」
 唯は驚いて目を丸くした。震える手でその箱を受け取ると、ジッとそのピアスを見た。
「お前が『Y』の文字に削ったジッポをくれるなら、俺は『S』の文字のピアスだって、直登さんに言ってたんだってさ。ピアスなんてみんなに見られるんだから、指輪と同じだろ。それってさ…」
 恋愛の経験ゼロの勇介にも、その意味はわかった。
「慎司さんも、お前が好きだったってことだろ。お前は俺のだって、みんなに自慢したかったんだろ」
「お、兄ちゃん…」
「これは俺の憶測だけど、慎司さんがあんな有名になったら唯と慎司さんが兄弟じゃないのはどっかからバレるだろ。そんときさ、堂々とお前を妹としてじゃなく、ひとりの女の子として大事に思ってるって、慎司さんは発表するつもりだったんじゃないのかな。でなきゃこんな目立つもん、わざわざ作らせないだろ。多分だけど、クリスマスに、お前にこれと一緒に気持ちを伝えるつもりだったんじゃないかな」
 唯はその場に座り込むと、箱を抱きしめ咽び泣いた。
 勇介はそんな唯を自分の胸に抱き寄せ、戸惑いながら頭を撫でた。
「ずっと好きでいればいいよ。慎司さんより好きなひとが出来るまでそのピアスして、ずっと慎司さんを思ってれば。慎司さんがすぐ傍にいると思って、頑張ればいい。………だってお前は、生きてるんだから」
 勇介は涙でぐちゃぐちゃの唯の顔を持ち上げ、自分の服の袖で、止まらない涙を拭いた。
「あんなすげぇひとに愛されてたんだ、自信持って頑張ろうぜ。俺もいるし、英司も、直登さんもいる。慎司さんの代わりにお前を守ってくれるやつは、いっぱいいるから」
「……勇介も…?」
「もちろん。これからは毎日声かけるぜ。ウザイって言われてもな」
「……お兄ちゃんは、自分の服の袖でなんかであたしの顔拭かないんだから」
「お前なぁ、そんなめちゃくちゃな顔しといて贅沢言うなよ」
「嘘つき!さっき可愛いって言ったくせに!」
「俺じゃねぇよ、俺の周りがね。でもその顔じゃあ……人気は一気に下降だな」
 一瞬、唯はむっとした顔をした。そして小さく呟いた。
「…………ないわよ」
「悪ぃ、聞こえなかった、何?」
「もう、泣いたりしないわよって言ったの!」
 そう叫んで、唯は自分で涙を拭くと舌を出した。べーっという可愛くない態度付きで。
 でも、勇介はそれで充分だった。
 ちょっとしたナイト気分だったのかもしれないが、自分の言葉でひとりの女の子の涙を止められたことが、勇介には感動するほど嬉しかった。
「………よかったよ、もうお前の泣くとこ、見たくなかったし」
 勇介は本音がついポロリと口に出ていたことに気づき、バッと唯の顔を見た。唯はきょとんと勇介を見て、すぐそのあと笑顔になった。
「ありがと、勇介」
 その笑顔は、真っ直ぐに勇介を見ていた。それは今まで見てきた唯のどの笑顔よりも可愛らしく勇介には映った。
 その瞬間、ドキッという胸の音が勇介には聞こえたのだが、勇介にはそれがどういう感情なのか、わからなかった。
 でも、慎司の代わりに絶対に唯を守ろうと、勇介は誓っていた。
 今見せてくれた笑顔を、ずっと見ていたいと、勇介は思った。