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「確か、淡黒い表紙に、金色の文字でタイトルが…」
それまで適当に秋奈の話を促していた僕だったが、驚いて文庫本から顔を上げた。手に汗が滲み、吸い込んだ空気が喉の奥で詰まるような息苦しさを覚える。
確か、僕が読んでいた本の中で読みたいものがあるのだとかいう話だったか。しかしそれは、紛れもなく僕のよく知るあの本のことを指しているようだった。
机を挟んだ先の彼女は、首を傾げてこちらの様子を伺っている。
「…本当に読みたい?」
恐る恐る聞くと、秋奈は好奇心旺盛な輝く瞳で「はい」と答えた。
秋奈の存在を意識し始めるよりも前に、勤務中に『月光』を読んでいたことがあった。恐らくそれを目撃されていたのだろう。
「…わかった。図書館の方に聞いて、在庫の確認を取ってみるよ。僕も、前に同じ方法で本を取り寄せたから」
「本当ですか?ありがとうございます」
秋奈は唇の両端を持ち上げて、頬を紅潮させている。目前まで見えた至福の時を、想像しての表情だろうか。
その様子に、僕は圧されてしまっていた。
「どの書店を巡っても、それらしきものに出会えなかったんです。先生が読んでいたのを少し見ただけだったので、タイトルすら覚えていなくて」
書店へ向かう、ということは所有欲があったということだろう。少し残念そうに眉を下げる彼女に僕は笑いかけた。
「随分古い本になるから、書店にないのは当たり前だよ。」
言うと、秋奈はつまらなさそうな様子を見せた。仕方ないですね、とため息を吐いている。
─────中身が何とも知らないくせに。
嘘も方便とはこのことを言うのだろう。秋奈をちらりと見て、僕は文庫本に再び目を落とした。

