先生の部屋に入った瞬間、僕は膝から崩れ落ちた。


今まで不思議と流れなかった涙がぼろぼろと頬を伝い落ちる。思わず大声を出して叫んだ。ああああ、と響く自身の声が余計に感情を煽る。


その部屋の壁一帯には、数え切れない程の"ごめんなさい"と"愛してる"が存在していた。黒や赤、青に緑と様々な色合いで埋め尽くされたその部屋は、当時の彼女の心情を物語っていた。
女性らしく整頓されている部屋に、似つかわしくない文字たち。狂気地味ているはずのそれが、僕の目には美しくも映った。これ以上の景色を、未だかつて見たことがない。


彼女は常に、僕を見つめ僕だけを想って生きていたのだ。そして、そのまま死を迎えた。これが先生の全てだったとしたら。そう考えるだけで胸が苦しくなった。


これで終わりにすると決めていた。なのにぶり返す悲しみは僕の心を限りなく乱した。深い泉の底に沈めた感情が勢いよく湧き出してくる。


愛してる、愛してる、愛してる。


堪らなくて、しばらくはその場で声を上げて泣いていた。





落ち着いた頃、ぐらりと立ち上がった。帰ろう、そう思い背を向けた時、微かに視界に入ったものを見てもう一度彼女の部屋を振り返った。

僕の目にはっきりとあるものが映る。机上に、まるで"見てくれ"と言わんばかりの様子でそれらはあった。


傍まで歩み寄ると、置かれている二つのうち一つを手に取った。それは茶色の封筒に入れられた何か。大方予想はついていたが、迷いなく糊付けされた上部を破いた。中から二枚の便箋が現れる。それを見て、心臓がどくんと鈍く重く鳴った。


やはり、間違いではなかった。二枚に書かれていた内容、それは僕を宛とした彼女による遺書そのものだった。そこには、先生の苦しみや幸福が痛いほど強く書き綴られていた。遺書といえども、今から死のうという人間が書くには恐ろしいほど達筆で、どこか小説地味ている。そこはやはり、彼女が国語教師であったという証拠なのかもしれない。

読んでいると、止まったはずの涙が再び零れ始め、いくつかの粒が便箋に落ちて染み込む。彼女の苦悩も、愛も何もかも、このものの数分で知ることになるが、詰め込まれた内容全てを受け止めきるにはまだまだ準備が足りなかったようだった。


最後の文に目を通す。
そこには、残った私物は全て僕の自由にしてくれていい、ということと、この本を捧げる、と書かれてあった。