「先生、愛してる」



ふと、カウンター付近の壁に掲げられている時計を見た。それは最終下校時刻の三十分前を示していた。そろそろ帰る準備をしなくてはならない。しかし行き先のない私は、これからどうするべきかも考えねばならなかった。しかし何をどう考えても、また同じ公園で野宿をする、それ以外の方法は見当たらない。薄汚れた制服で、汚らわしいこの身なりでずっとこのままなのだろうかと、家を出る際にスマートフォン以外何も持たなかった自分自身を恨んだ。


そんなとき、カウンターの整理が終わったのか先生が近くにあった椅子に腰掛けて言った。あまり良いとは言えない顔でこちらを凝視する。


「また野宿のつもりか」


「だって、それしか方法がないんです」


「家には、もう戻らない?」


「あれは、もう"家"じゃないです」


戻りたくても、あんな汚れきった家に戻る勇気はなかった。母とその愛人のことを思うだけで腹が立つ。

あそこにいると、自分もあの空気に染められてしまうような気がして、もう二度と関わりたくないと思えた。


例え道端で野垂れ死んだとしても、だ。


「秋奈」


先生が名を呼んだ。そして、何やら小さな紙に地図のようなものを簡単に書き始める。一体何をしているのだろうと、そのまま先生が走らせるペン先を見ていた。

やがて、書き終わったのか先生が「はい」と一枚の紙切れを渡す。地図には、学校から五分もかからない程近くの建物に、"ここに行け"というかのように赤い丸がされてあった。

なんの地図かと頭を巡らせるが、思い当たるのはマンションや一軒家ばかりで、何があったどうか全く思い出せない。


そんな私の心中を察したのか、先生が言った。


「今から学校を出て、十八時を過ぎたらここに行きなさい。それ以上はまだ何も言えない」


何があるのですか、本当はそう口にしたかったが、"言えない"と言うのだから仕方ない。私は疑問の言葉を飲み込んだ。

代わりに、「わかりました」とだけ告げる。


「それじゃあ気をつけて」


先生はそう言うと、誰にも見つからないようにね、と念を押して廊下まで見送ってくれた。先生が何をしようとしているのか想像もつかないまま、私は「さようなら」と立ち去る。


外に出ると雨はもう止んでいて、ずぶ濡れたアスファルトだけが広がっていた。汚れた空気が雨で流されたのか、辺りは澄んでいて気持ちがいい。ふわりと冷たい爽やかな風がそよぐと、湿った制服が冷えるようで少し身震いをした。雨にさらされ角を立てていた長い髪の毛も、今では風にゆらぐほど軽くなっている。


ちらほらと部活終わりの生徒が帰宅を始めている。見つからないよう何とか物陰に隠れながら、私は校門を抜けた。