ちらりと先生の方を見上げた。瞬間、私は先ほどとはまた違う意味で心臓が跳ね上がり、脈打つ速度が早まっていくのを感じた。熱を帯びていた頬は一気に冷え上がり、代わりに脂汗が滲む。
なぜなら、そのときの彼はいつもの穏やかさとはかけ離れた重い表情を見せていたからだった。怒る、とはまた違ったような、不気味な無表情。それは先生であるのに、まるで先生ではないようで─────私の心を一瞬にして震え上がらせた。
「盗み聞きは、良くないね」
聞いたこともない低い声色で先生が言った。
「や、あ、えっと」
否定しようのない事実に、私は口ごもる。気まづさから顔を逸らし、体を仰け反らせるが、やはり男性の力は強く、先生の元からは離れられない。まさかこんなにも彼の気を悪くしてしまうだなんて思ってもみなかった。どうするべきか分からず、私はただ黙っている。いつも優しい彼の、二度目の怒りは同じく恐怖に近いものだった。
「どこまで聞いてた?」
先生は追い討ちをかけるように続ける。
「ごめんなさい…岸田君の名前が聞こえたので、つい。でも聞いていたのは最初だけで、先生が彼を引き止めた後の会話は、声が遠くてわかりませんでした」
許して欲しいと、謝罪の意を込めて言った。それを聞くと、先生は何か考えるような素振りを見せたのち、ようやくかけていた力を緩め体を離す。そうして、何も言わず書庫から出ていった。取り残される私はしばらく呆然と立ち尽くしていた。緊張と恐怖で肩が上がっていたようだ。ゆっくりと肩を下げる。一体今のは何だったのだろう、と少しの間考え込んでいた。
やがて正気に戻ると、私も急いで書庫を出た。カウンターで本の整理をしている先生に向かって、震える唇で声をかけた。
「ごめんなさい。怒らせるつもりはなかったんです」
その言葉に、先生はピタリと作業をやめる。こちらを見つめて、先生は言った。
「怒る…?いや、怒っていたわけではなくて」
先生が私の方に近寄って言った。そのまま手を伸ばし、頬に触れる。親指で撫でながら、先生は申し訳なさそうに笑みを浮かべて言った。
「焦っていたんだ」
その時の言葉に、私は耳を疑った。
「どういう、ことですか?」
率直な疑問をぶつける。

