ありがとうございました、そう言って去っていく岸田の足音が聞こえる。先生に限って心配などなかったが、なんとか誤魔化してくれたようでほっとした。
「あ、そうだ岸田君」
そのとき、先生が去りゆく彼を引き止める。あのまま話が終わるのだと思っていた私は、少しの動揺した。
けれど、声の場所が遠いのか何やらぶつぶつと途切れるようにしか会話は聞こえてこない。もっとしっかり聞けないものかと出来る限り耳を強く押し付けるが、状況は変わらなかった。
次第に声は無くなり、外の音は静まり返る。恐らく岸田が帰ったのだろうと思い、扉から離れようとしたそのとき、ガチャッという解錠の音と共に扉が開かれた。
しまった、思った時にはもう遅い。体は内に開かれる扉の方向へと押し出され、後方に体勢を崩す。隙間から先生の驚いた顔が見えた。片足でバランスを取ろうとするが体がいうことを聞かず、ぐらりと背中から床へ落ちていく。しかし、そのとき伸ばしていた腕を先生が掴み、背中に手を当て引き寄せた。落ちるはずだった体は先生の胸元へと落ち着く。
「怪我はない?」
先生が声をかけてくれる。自分のものよりも明らかに大きな体と手のひらが自身を包み込んでいる。一瞬の出来事に機能を停止した頭がようやく状況を把握すると、私は羞恥で心臓が張り裂けるような思いに見舞われた。体を離そうと先生の胸を押す。
「ご、ごめんなさ」
けれど、ビクとも動きはしなかった。先生が腕と背中をしっかりと抑えているのだ。
「先生?」
頬に赤みが増し、どくどくと胸の奥が激しく音を立てていくのがわかる。例え体勢を整えてもらった末路だとしても、今のこの状況はどこからどう見ても抱きしめられているという他なかった。
「先生、人目が」
唯一絞り出した言葉は、そんなものだった。
「みんな帰ったよ」
先生は平然として言う。確かに、この先生が他に生徒がいる図書室で書庫の扉を開けるわけがなかった。いや、だとしても今のこの状況は一体何なのだ。体勢を整えるだけならまだしも、体を離してくれないのは何か意味があるのかと引っかかる。

