「先生、愛してる」



─────なんだあれ、なんだあれ。


心の中で唱え続けた。

一目散に走って家から離れていく。気がつけば、塩っけが混じった水粒が目から溢れて、いくつも頬を伝い落ちていた。


朝、ソファに散乱する汚物を片付ける時には対して何も思うことはなかった。しかし、全てを目の当たりにしてしまったとき、こんなにも取り乱してしまうものかと、またどうしようもなく悲しくなった。

母は平気な顔で性行為に誘ってくる。もう彼女を母と呼ぶべきかすら分からない程、信用出来なくなっていた。


─────なぜ、なぜいつも、自分ばかりこんな目に合わなければならないのか。


恨んでも恨みきれない程、自分の人生を疎ましく思った。


「あああ、あああぁぁぁあ!」


立ち止まり、意味もなく人目も気にせず私は叫んだ。一度ではなく二度、三度と、気持ちの奥底にあるざわつきが晴れるまで何度も叫び続けた。

通りゆく人々は私を振り返って、頭のおかしい奴というような目で見て去っていく。羞恥の感情など掻き消えてしまうほど、心の整理が上手くつかない状態になってしまっていた。


息も絶え絶えに喉を軽く痛めたとき、ようやく叫ぶことをやめる。そしてゆっくりと、行きあてもない道を一歩一歩と歩み始めた。


─────居場所が欲しい。


すっかり引き出しの中に納めていてはずの感情が、溢れ出るように胸の奥を満たしていく。


昔から、まともに愛してもらえることがなかった。両親の仕事癖は私が物心つく前からのことで、実際にあまり顔を見たことがない。父に関しては、顔すら思い出せないほど出会った回数も少ないくらいだ。
母は、父とは別の人間を取っかえひっかえにしては、他人に愛を注ぐ。子どもへ向けられる興味など微塵もなく、ただ"生かされている"それだけの生活を送ってきた。

物理的な居場所はあっても、心理的な居場所など何一つ存在しない。


近所ではそんな家庭を不審に思ってか、育児放棄だの母の風俗疑惑が囁かれた。学校ではそれも原因で何度もいじめられた。

誰にも必要とされず、愛してももらえない自分自身が惨めで情けなくて、こんな環境にしか生まれてくることが出来なかったことをずっと恨んでいた。


恨んでも仕方の無いことはわかっている。だからこそ、この感情をいつまでも心の引き出しの奥深くに納めていた。だというのに、こんなにも溢れてしまっては、もう納め直すこともできない。