「つまらない先入観と上辺だけを見て、知ったような口を聞くな」


今まで見たことも聞いたこともないような、暗い表情と声色で、先生は私を見下した。まるで鷹に睨まれた鼠のように、身動きが取れなくなってしまったことを覚えている。


そして、彼はこうも付け加えた。


「そんなに上辺だけでない会話を望むというのなら、放課後、誰もいなくなくなったこの図書室に来るといい。君は少し、僕と同じ匂いがするようだから」


その言葉に、私は頷いた。


全ての始まりはこの日からだった。何もかも仕組まれていたかのようななれそめ、恍惚にも似た瞬間。

初めは、好奇心からだったかもしれない。
今まで見てきた先生とは違う何かを、目視したいという意思は確かに持ち合わせていた。
けれど、深く知れば知るほど、先生に惹かれていってしまったことも事実だった。もう後戻りなど出来ないほどに、底のない沼に溺れてしまっているのだ。


"同じ匂い"、先生はあの日そう言った。
それはきっと、この荒んだ心や人間性を指すのだろう。先生も私と同じく"何か"を抱えた人間なのかもしれない。でなければ、"同じ"だなんて言葉は出てこないだろう。
だからこそ余計に、こうして惹かれ合うのは必然的な事だったのかもしれない。


「秋奈」


先生が名を呼んだ。
こっちへおいでと手を前に差し出す。

その指示に従い、机越しに乗り出すようにして先生に近づいた。同じように先生も体を寄せる。そうして私の頬に触れた後、かけていた眼鏡を取り、ゆっくりと顔を近づけた。唇を触れるギリギリのところまで近寄せて、静止する。


その間、先生はじっと私の目を見つめていた。何かを確かめるかのように、鋭い、貫くような眼差しで捉える。少しでも動いてしまえば触れ合ってしまうような気がして、どうすることも出来ずに固まってしまう。混ざる吐息と微かに感じる熱が体を刺激する。身震いすら覚える感覚に、思わず酔ってしまいそうだった。


強く跳ね上がる心臓の音が耳障りだ。羞恥で逃げ出したくなる気持ちを、必死に抑え込んでいた。


しばらくすると、先生は私から体を離す。背を向けて、小さく「ごめん」と言った。


「時々、不安になるんだ。いつか全てが壊れてしまって、ここに何も残らなくなってしまうのではないかと思って。触れられない分、心に募っていくんだ」