その日の夜、亘理さんの帰りはいつもより少し遅かった。
夜の十一時を過ぎた頃、ややくたびれたような顔で「ただいまです」と帰ってきた。

「おかえりなさい」

リビングにいた私が出迎えると、彼は微笑んだ。

もうお風呂も済ませてあとは寝るだけになっていた私に、申し訳なさそうに亘理さんが謝る。

「遅くなってすみませんでした」

「いえ。ご飯、温めますね」


彼はたいていどのシフトでも遅くまで仕事をしているが、今日は珍しく早番の定時きっかりに上がった。それなのに、こんなに帰りが遅いなんて絶対におかしい。

……まさか、郁さんと会っていたとか?
お店の中で話すには時間が足りなくて、仕事のあとにも会っていたと考えても不自然ではない。


モヤモヤした気分のまま、用意していたご飯やおかずを温めてテーブルに並べる。

亘理さんが食事をとっている間、ミルクティーを作っていたが心ここに在らずな私は、鍋が焦げていることに気づかなかった。


「白石さん、鍋!」

声をかけられるまでぼんやりしていて何も分からず、名前を呼ばれてやっと我に返る。
その時には、鍋底が黒くなっていた。

やってしまった!

「あ、あぁーーー!ごめんなさい!」

「ちょっと窓開けますよ」


亘理さんはベランダの窓を開けて、焦げたにおいを部屋から逃がす。
冬の冷たい空気が部屋の中に入り込んで、呆然としていた私の頭がやっと現実へと戻してくれた。

「珍しいですね、そんなにぼんやりしてるなんて」


食事を終えた亘理さんが、焦げた鍋を洗っている私のそばに来てお皿をキッチンへ運ぶ。
何度こすっても、焦げは取れない。

こすっても、こすっても、こびりついている。

「もう、鍋は買い換えないとだめですね」

自嘲気味に笑うと、隣で「残念だなあ」と悲しげな声。

「じゃあ今夜は、ミルクティーはお休みですね」

「……はい」

「あとで食器洗うので、置いててください。お風呂いただきます」

「……はい」


亘理さんの気配がリビングからなくなってから、ようやく顔を上げる。
焦げたにおいは消えたけど、どうにもできない自分のぐちゃぐちゃな想いは消えてくれない。

こびりついて取れないのは、焦げだけじゃないんだって実感した。