私たちからは、部屋の中は見えない。
だから、彼女が言う「こんなの」がなんなのか、さっぱり分からなかった。
大熊さんと目を合わせて首をかしげていると、亘理さんの静かな声が聞こえた。


「……これ、どういうこと?」

「見たままよ。あなたに戻ってきてほしいってこと。戻ってくれば、それ相応の役職とお給料を手にすることができるの」

「これを本部長が?」

「靖人に会いに行くって話をしたら、説得してくれって頼まれた。それ以上の要求も、飲んでもいいって。こんな好条件ないわよ?」

「なんで今さら……」

「やっと気づいたんでしょ、あなたの人望の厚さと仕事ぶりに。あなたより優秀な部下はいないって、いなくなってから分かったのよ。あなたはブラマに必要だってこと。それを伝えてくれ、って」

「─────そう」


ハキハキと話す郁さんの声は、私の耳に痛いくらいにクリアに聞こえてくる。

……あぁ、そういうことかと理解した。

要するに、ブラマの上司が亘理さんを呼び戻したいということなのだ。以前よりも好条件を提示して、彼を動かす作戦。
同時に、郁さんもブラマの人間なのだということも分かった。
亘理さんとはブラマで出会ったのだ。


でも、大熊さんには寝耳に水の話なので、豆鉄砲を食らったみたいな顔で私を見つめていた。
そして、小声で耳打ちしてくる。

「ちょっと待ってよ、聞いてないわよ。亘理さんってブラマから来たの?」

「…………はい、じつは」

「えぇ〜っ!」


驚く彼女をよそに、亘理さんたちの会話は続く。
郁さんはひたすら彼を説得しているような感じだった。きっと、彼女も彼に戻ってきてほしいのだ。

残念ながら亘理さんの声はいつもと変わらず淡々としていて、嫌がっているようにも喜んでいるようにも聞こえなくて。

それが、私をさらに不安にさせた。


─────だって、しがない売上の悪いスーパーの立て直しと、元々経営が順調な大型のショッピングモール。
比べなくたってどちらがお給料が高いのかは歴然だし、役職まで与えられるとなれば、店長とかではなくきっときちんとしたものに違いない。

曲がりもなにも十年しっかり働いた職場だ。愛着がないという方がおかしい。


「やだわぁ、瑠璃ちゃん。亘理さん、いなくなっちゃうの?そんなことないわよね?」

慌てたような大熊さんの問いかけに、大丈夫ですよ!なんてことは気安く言えなくて、口をつぐんで視線を落として、ぐるぐる回る嫌な気持ちを整理するので精一杯だった。


私と大熊さんはそっとその場から離れて、聞いてはいけないものを聞いてしまったと二人で見つめ合った。

店舗に出て、賑やかなクリスマスソングをバックにして大熊さんが大きな体をシュンと縮こませる。

「聞かなきゃよかったわね……」

「はい……」


私も、力なくうなずくしかできなかった。