日々亭の前を通る帰り道。
マジックを塗られたヒールがカツカツと私を勇気づける。
この靴に魔法は宿らない。
魔法なんていらない。
欲しいのはもっとずっと確かなもの。
十九時を回った日々亭はいつも真っ暗で、それでもどこかに陽成さんの気配を探しながら通り過ぎる。
そのはずなのに、今日は店の奥にぼんやりと灯りが見えた。
不思議に思ってその灯りを見つめていると、
「灰川さん!」
すぐ近く、入り口前の暗闇の中からのそりと人影が立ち上がった。
「え? 陽成さん?」
「よかった。ここを通ってくれないかなって、賭けてたんです」
一段だけある石段に座っていたらしく、パタパタとお尻をはたく。
いつもの白いコックコートじゃなくて、初めて見るデニム姿。
魔法使いじゃなくて、普通の男の人。
「寒いのに! こんなことしなくても、用事があるなら明日の朝でよかったでしょう?」
距離を詰めた陽成さんは、強く私の手首を握った。
「もう来てくれないかもしれないと思って」
厨房だけ灯りのついた日々亭は薄暗く、全然知らない店のように見える。
「ご飯食べました?」
呼吸するペースで厨房に入り、私の指定席にお水を置く。
外は暗く、オレンジがかった電球の灯りが、グラスの中に溶けていた。
「いえ、まだです」
「よかった」
陽成さんが手早く準備すると、当たり前のように私の前に魔法が広がる。
初めてみる陽成さんの夕餉。
「いいんですか?」
「店で出せないような簡単なものだから遠慮なく」
唐揚げを卵でとじた丼とゴチャゴチャ色んな野菜の入ったお味噌汁。
確かに“まかない”感の強いメニューだ。
結局お昼を食べていない私は、急激に空腹を自覚する。
「あと、これも」
ガラスの容器に入っているのは、くすんだオレンジ色の固まり。
「昼餉には簡単なデザートも付くんですけど、いらないっていう人もいるから毎回余るんです。だからよかったらどうぞ」
「これは……カボチャ?」
「はい。カボチャのプリンです。苦手ですか?」
「大好きです」
本当は好きでも嫌いでもないのに、自然と口からは「大好き」と出ていた。
私に出したものと同じ丼を抱えて陽成さんは隣に座って食べ始めた。
毎日のように朝餉を食べに来ても、当たり前だけど一緒に食事をするのは初めて。
無造作にさっさと胃に収めていく姿を見ると、やっぱりこの人が自分で作ったんだな、と思う。
「いただきます」
まだできたてだから熱い唐揚げはカリカリ感が残っていて、トロトロの卵とすごく合っている。
カボチャのプリンは甘くなく、カボチャだけを詰め込んだような自然な味だった。
それでもカボチャそのままよりずっとなめらかで食べやすくて、多いと思ったのに苦もなく食べられて。
たった今、カボチャは本当に「大好き」になった。