それでも、どんなに集中している時でも、私が「おやすみ」と言うと、必ずパソコンから顔を上げて「おやすみ」と笑顔を向けてくれた。
深夜に寝る時、私を起こさないようにそーっとベッドに入ってくるくせに、ふわっと触れる程度に私の手を握り、指を絡めて眠る。
表現はわずかだけれど、元輝の愛情は確かに感じていた。

元輝が退会した後、「勝敗に一喜一憂するからダメだったのだ」という人もいた。
実際、勝っても負けても気持ちを切り替えるのは重要なのだろう。

だけど、元輝がプロになれなかったのは、そんなことではないと思う。
きっと何かが絶対的に足りなかったのだ。
プロになれるかなれないかは、紙一重の運のようなものであると同時に、どうにもならないほどかけ離れたものであると思う。

元輝よりほんの数手先まで読める人がいる。
元輝が直感で捨てた手の中に妙手がある。
絶対に越えられない“紙一重”が世の中にはあるのだ。

そうでなければ、あんなに努力してきた人がプロになれないわけがない。
あれだけの努力を“運”なんていうもので否定されたくない。
だったらいっそ「お前には絶対に無理だった」と言ってあげられたら。

残された私は、昨日までと同じように出勤し、仕事をした。
休日は溜まった家事やお買い物をして、友達と出かけたり、同僚と飲みに行ったり、これまでと何も変わらない毎日を過ごしている。
仕事で失敗して落ち込む日も、友達と大笑いする日もある。
元輝がいてもいなくても、そんな日々は変わらない。

自宅に帰って部屋が暗いと、今日も帰ってないんだな、と思うだけ。
それから、髪の毛を切れなくなっただけ。