本当は、あの夜を最後にしたくありませんでした。
こんな日々がもう少しだけ続いてくれれば、と。
そんな私の気持ちにあなたは気づいていて、だから最後の最後にもう一度躊躇いましたね。

「本当にいいんですか?」

「最初から覚悟はできていますわ」

「いいえ、できていないと思います」

首を傾げる私の目を真っ直ぐに見つめて、あなたは繰り返しました。

「姫さまは、覚悟など全然できていらっしゃいません」

私の心が揺るぎないことは、はっきりとわかっていました。
だから少し不満を滲ませて聞き返しました。

「どうして?」

あなたはどう言ったらいいのか、考えて考えて、

「これから先は、きっと苦しいばかりだと思いますから」

とだけ言いました。


あなたの言った通り、私は覚悟なんてできていませんでした。
だからあなたに口づけられて、本当に驚きました。

「……何か、薬を?」

「まさか」

「え? でも、だって」

━━━━━私の知っている口づけと全然違う。


少し触れただけで身体中がしびれてしまうそれが、ただの口づけであるなどと、にわかには信じられませんでした。
だから何度も唇に触ってみたり噛んでみたりしたけれど、何の変化もなくて。
安心してもう一度口づけをしたら、やっぱり駄目なのです。

「やっぱりおかしいわ。なんだかとっても変な感じがするの。本当にお薬を使っていない? さっきからずっと動悸も激しくて、もしかしたら病気かもしれませんわ」

あなたはふわりと涙を湛えるような目で笑いました。

「大丈夫です。病気じゃありません」

やさしく引き寄せられた胸の奥からは、私と同じくらい強く速い鼓動が、あたたかい体温とともに感じられました。

「だけどきっと治らないので、そのまま我慢していただけますか?」


必要ないはずの口づけは、たくさんたくさんくれたのに、あなたは大切なことは何も教えてくれませんでしたね。
あなたの気持ちも、この先、あなたの命に保障がないということさえも、何も言いませんでした。

今なら、もう少しわかったと思います。
あなたの体温が、言葉よりも雄弁に語っていた想いも。
たどる指の意味も。
唇に込められた願いも。
見つめる蜂蜜色がひどく苦し気だった理由も。
今ならもう少し、わかってあげられた。
それで、私の生涯ただ一度の想いも、伝えられたと思うのです。

だけど、この時の私は、自分から溢れ出るものに翻弄されるばかりで、あなたのことまで考えていられませんでした。

もったいないことをしましたわ。