結局、洋兄ちゃんが帰宅したのは朝4時だった。
洋兄ちゃんの事が気になって眠りが浅かったから、リビングの些細な物音に気が付くことができた。

寝室のドアをそっと開けてリビングの様子を窺うと、洋兄ちゃんはソファーに横になるところだった。
寝室に入って来なかったのは私を起こさないように洋兄ちゃんの配慮だろう。

「洋兄ちゃん、やだ、こっちのお布団で寝てよ」
「志織、起こしたか。ごめんな」
「ううん。ね、今からなら2~3時間は眠れるでしょ。お布団でちゃんと寝て」

「志織」
洋兄ちゃんは私の右腕を優しくつかんでソファーに座るように促した。
「志織、起きたのならちょうどいい。これからどうするのか聞かせて」

「うん、私も洋兄ちゃんに話したかった」

本当なら早く身体を休ませてあげるべきだろう。でも、私は数時間後には島に戻らなきゃいけない。
今、話さないともう直接話すチャンスがなくなる。

「あのね。私、やりたいことが見つかったの」
うん、と洋兄ちゃんは頷いた。

「島での仕事はいろいろ勉強になったよ。1人で考える時間がたくさんあったし。島の医療も知った。島の皆さんもとってもよくしてくれたし、辛いこともあったけど楽しかった」

役場の林さんや診療所の後藤先生ご夫妻。
漁師のおじさん達や農協の婦人部のみなさん。
近くのお爺ちゃん、お婆ちゃん。子どもたち。


「でもね、わかったの。
私、洋兄ちゃんの側にいたい。横浜に戻りたいんじゃないの。
私、洋兄ちゃんが好き。
兄としてじゃない。男の人として。
洋兄ちゃんがいる所で洋兄ちゃんの側にいたいの。
ナースの仕事もしたい。でも、洋兄ちゃんを支えながらしたいの。
ね、ダメかな。私を洋兄ちゃんの側に置いてくれないかな?」

洋兄ちゃんをじっと見つめた。
頑張って言ったから涙が出そうだ。
逆プロポーズなんだから。

「志織」

洋兄ちゃんは私をぎゅっと抱きしめた。ふわっと洋兄ちゃんの匂いがする。

「志織、ダメなわけない。本当にいいのか?もう離してあげられないよ」

私は洋兄ちゃんに身体を預けるように力を抜いた。
「洋兄ちゃんこそ。私もう、妹はイヤ」

「志織」

洋兄ちゃんは私の頬に自分の頬を付けて耳元で言った。

「俺は志織の事を『妹』だなんて志織に言った事ないよ」

えっ。驚いて身体を固くすると洋兄ちゃんは笑った。

「『妹』って言ってたのは姉さんだろ」

あれ?そうなの?そうだったかな?

「俺は周りに幼なじみだと言ったことはあるけど、志織にも周りにも『妹』だって言った事はない」

そうなの?私が勝手に思ってただけだったの?

「洋兄ちゃん、私は側にいてもいいの?好きでいていい?」

もう一度だけ確認。
嫌われていないって事はわかってたけど、洋兄ちゃんの中の私のポジションがわからなかった。
身内として大切なのか、ただの幼なじみの友情か、恋愛対象になるのか。

「当たり前だよ。志織、俺の側にいて。もう一生」

洋兄ちゃんは私の頬を両手で挟んでキスをした。
それは甘く甘く胸いっぱいに染みわたるキスだった。
幼い頃にしたキスとは違う大人のキス。

洋兄ちゃんの唇が離れていくと淋しくなり、ぎゅっと肩にしがみついてしまう。
そんな私に
「志織、もう『洋兄ちゃん』はやめて」
と囁いた。

私はしがみついたまま「ん」と返事をする。

「25年も『洋兄ちゃん』って呼んでたから変えられるかな…」身体に染みついてるもん。