「新大平下駅から乗ってきたいろはが、まさか俺の前の席に座ってくるだなんて思わなかったよ」
ヨータの声。ヨータの手のひら。ヨータの匂い。それを考えるだけで泣けてくることなど、今までには一度もなかった。
私の頬を包み込み、優しく触れてくる指先はひどく酷薄で。
「いろはが乗る電車の発車時刻は前もって専属の医師から聞いていた。この電車の何処かの車両にいるだろういろはを探して、なにかしらの接触を図ろうって魂胆だったんだ」
涙が頬を伝い、それを彼は切なげな表情で拭ってくれる。
…待って、行かないで。
神様どうか、まだ連れて行かないで。
こんなのは都合のいい考えに過ぎないと分かっていても。
「だからビックリした。正直言うとさ、いろはの名前を呼んだ時、君が俺と目を合わせてくれたことにも泣きそうになったんだ。やっと俺を見てくれた。やっと、応えてくれた。今まではなにを呼びかけてもピクリともしてくれなかったから」
私が泣き止むことは一向になかった。そんな私を時折愛おしげに見つめながら、ヨータはさらに口を開いた。
敢えてヘラヘラと接してきたのは、私の警戒心を解くためと、そしてあとは自分の保身のため。
────気を緩めると今に泣き出しそうになるから、と。
「ほら、初対面の男が号泣しはじめたらビビるだろ?いろはに妙な警戒をされて席を立たれてしまったら困るし。って言ってもまぁ、途中暗殺者だとか魔法使いだとか変なジョークを言ってしまったけど」
「…でも、」
「うん。でも、結局我慢できなかった。だって昔みたいなやり取りをしてくるんだから」
「……っ」
「俺を俺だと認識はしていなかったけれど、それでも今までにはなかったことだった。そして同時に思ったんだ。ああ、少しずつだけど確実に"いろは"が戻ってきている、と。この旅の中でもう一度君を呼び戻すことができるかもしれないって」
