ナミダ列車








────奈落の底に落ちるような苦しみを味わったのは、なにも私だけではなかったはずなのに。

誰が一番泣きたいのかなんて、考えずとも理解できたはずなのに。







「…な、に…言ってんの?」




なに。

3年?どういう意味?

6月だというのにも関わらず吹き付けてくる湖風は底震えするほどに冷たい。



変なジョークでしょ?

なんて笑いかけてみてもヨータはピクリとも表情を崩さない。ふざけてなんてないことはすぐに分かってしまった。




「…え?」

「いろは、聞いて」

「…や」

「俺が二度と走れなくなったのは、」

「…やだっ」




そこから先を聞きたくなかった。

悪い予感がした。

この時、ヨータが一体どんな気持ちで私に打ち明けてきたのか。それを考えることもできないくらいに、私は弱かった。


なにが人を励ましたいだ。なにが勇気を与えたいだ。

一丁前に夢を語っておきながら、いざ自分にそれが降りかかるとどうだろう。受け入れがたい現実から逃げてしまいたくなる。




「走れなくなってしまったのは、怪我とか、そういうんじゃない」

「…っ」

「———心臓が、よくないんだ」







脳天をはしる衝撃。木々が揺れる音が喧騒のように聞こえ、一転して私の心を蝕んでゆく。

ベンチに座っている彼の顔がまともに見れなかった。

今までのことは全て虚構だったとばかりに、私の世界はガラガラと崩れ落ちてゆく。







──……ザザッ、

記憶の中にいるヨータの優しい顔が、黒のマジックで塗りつぶされた気がした。







「…や………だっ……」

「言わなかった。いや、言えなかった。でも、それじゃいつまでも前に進めない。…進めないんだよ。怖がってちゃいられないんだ。時間は限られている。だから、いろはにだけは、ありのままの俺を知っていてほしい」





…全身が小刻みに震え出す。

私に向けて伸ばされた、愛おしいはずの彼の手が、この時は怖くてどうしようもなかった。





ありのまま…?ありのままって、──何?

──ザザッ。

隙間が徐々になくなる。ヨータが黒のマジックで────消されてゆく。







「いろは、聞いて。俺はそのうえで君に伝えたいことがあるんだ」


——いや、




耳を塞ぐ。

目も閉じる。





伸ばされた手は私の頬を包む。

"お願い、俺を見て"

何度彼が私に呼びかけたか。


"いろは、こっち見て"

一体どんな顔で、私を見つめていたのか。

中禅寺湖から吹き付けてくる風が、ヨータの柔らかな黒髪を切なげに舞い上げた。