「俺はいろはを泣かせてばかりだ」
「……ヨータっ…」
「3年」
「……えっ?」
高い鼻も、端正な顔立ちも、柔らかい柔軟剤の香りも、くせっけな黒髪も。
"ハルナさん"のものだと認識していたものは全て"ヨータ"のものだった。それなのに、
「いろはは、ずっと眠り続けてたんだ」
私は、一体なにをしていたのだろう。
「昏睡状態ってわけじゃない。意識もあったし、立って歩くこともできていたけれど、それでもいろはは眠ってた。病室の窓の外をぼんやりと眺め、あらゆる感情をシャットアウトして」
「……そ、んなことっ…」
「もう今なら分かるよね?」
ぽっかりと空いた穴。
中身のない日々。マンネリ化した日常。
私は潜在的に"旅"を求めてた。刺激を求めてた。気づきの機会を、求めてた。
核となる大事な部分が欠落した、すっからかんの私を埋めたくて。
「いろははたくさんのことを"忘れた"」
「……っ」
「思い出して。ここに来るまでに、誰に会ったのかを」
「……っ!!」
────ズキン。
再び頭がかち割れるような痛みが走る。眩暈に似た視界の歪み。
情報の濁流が私を飲み込み、内から溢れ出て来る感情の波が真実とは何かを知らせてきた。
新栃木駅で隣に座って来たおじさんは、
────"ゆっくりでいい…。前に進もうという思いがあるのなら、きっとその穴は埋まるはずだから"
「お父さん……っ」
誰よりも私のために生きてくれていたはずの実の父親。
東武金崎駅から乗車して来た老婦人は、
────"……良い旅を。心からそう、祈っているよ…"
「藤江(ふじえ)、先生……っ」
小さい頃から付きっ切りで絵を教えてくれた先生。
新鹿沼駅から乗って来たあの二人組の男女は、
────"彼を鼓舞したくらいの強い心でいつだってドシンと構える、そんな───……いろはで、いてね"
「……エリっ………、サトルっ」
高校時代の私たちの親友。結婚して子どもも出来たんだね。
