【桜井実華】
放課後の楽しみの読書を終え、お店を出る。

私の住んでいる家は山奥の田舎。帰るのもかなり時間がかかる。

だけど、私はあの家が大好きだった。自然溢れるあの町が大好きなんだ。


夕方の駅のホームに行けば、学生が大半を占めている。だけど、私と同じ方面の電車に乗る人は少ないんだ。

私は人混みは嫌いじゃない。だって色んな音が聞こえてきて楽しいじゃない。

笑い声だって怒鳴り声だって、泣き声だって。

人以外の音だってもちろん好きだ。

鳥の囀り、虫の鳴き声、それから風の音も。

私は音が好きなんだ。音楽が好きなんだ。

全てのものは音を鳴らす。
どんな音でもそれはそのものにしか出せない音で、大切な個性。

音を奏でてみて、音色が全て異なるのってとても素敵だと思わない?

ピアノだってヴァイオリンだって同じ。

ピアノが弾きたい……

ヴァイオリンが弾きたい……

瞼を開けると温かいものが頬を伝った。

また泣いてしまったんだ。

遠くからこっちに勢いよく走ってきて、電車は駅に到着する。勢いにのった風が私の涙を吹き飛ばしていった。

扉が開いたから電車に乗り込む。

夕方の電車は人が少ない。だから席はガラ空き。だけど私は座らない。

窓からはオレンジの夕日が射している。とても綺麗な眺めだ。

目の前にある街並みは流れていき、やがて田舎の景色へと変わっていく。

綺麗だな。どの景色もどの音色も。


終点で降りて家に向かう。

駅からは少し近いからところにあるから楽だ。

家の前には、最近お母さんが始めたフラワーアレンジメントの花が飾ってある。

その花が、私達の家を元気にしているんだってお母さんが言っていた。

「ただいま」

ごく普通の一軒家。父は医者、母は主婦、あと中学二年生の妹がいる。本当に普通の家庭だ。

「おかえりー。夕飯ちょうど出来たのよー」

優しい顔つきのお母さんは心の中も優しいんだ。お父さんもそう。

子供のことを一番に考えてくれてるんだって私でもわかる。

この家の人はみんな常に笑顔で溢れていた。

靴を脱いでリビングに向かう。テーブルにはもう夕飯が並べられていて、妹の望が座っていた。

「お父さん帰ってきたの?」
「うん。今お風呂入ってるから」

お母さんは、お父さんの椅子をトントンと叩いた。

私は自分の椅子に座って「いただきます」と手を合わせた。

今日のご飯はハンバーグ。お母さんの自慢の手料理。

私がまだ幼稚園に通っていた頃から作ってくれていた。だから私はお母さん以外のハンバーグは好きにはなれなかった。

外食に行ってはいつも残して、家に帰ってから、お母さんに作ってもらっていた。

今思えば、ものすごく迷惑なことをしたんだとわかる。

「おお、実華おかえり」

お父さんは首にタオルを巻いて、リビングに入ってきた。そして椅子に腰掛け、「いただきます」と手を合わせた。

「望食べないの?」
「はいはい食べるから」

だけど望だけは違った。望だけ笑顔が欠けていた。いつからかはよく覚えていないけど……

「あ、大学絞ったのか?」

お父さんが思い出したように私に聞いてきた。

大学……医学部かな。

「うん。虎の丘の医学部。どこの医学部よりも行きやすいと思うし、中身も整ってるし」

「よかった」とお父さんは微笑んでハンバーグを頬張った。

虎の丘大学医学部は、現在通っている虎の丘高等学校の兄弟校で、普通に受けるよりも入りやすい。医者にもなりやすく、将来に一番近い道なんだ。

「実華、医者になるんだ」

口を開けたのは望だった。望は私を大きな目で睨みつけた。

わかってる。望の言いたいことわかってる。けど許して。どうしようもないことだから。