異変に気が付いたのは、久しぶりに仕事が早く終わり、駅前の牛丼屋に寄ってから、寮へと帰る時だった。夏至が近づくこの頃では夜の七時はまだ明るい。
いつもなら、道を挟んでクリーム色の建物が二つ並んで見える。
僕の社員寮と岡園さんのマンションだ。
だけど、今日はその一方がグレーのシートに覆われていた。
いつもより建物が一回り大きく見えるのは、建物の周囲に足場が設置されているせいだろう。
朝はいつも通りだったのに、これはどういう訳なのか。
何も聞いていないと、焦りながら早足で帰った僕を待ち構えていたのは、異変を裏付けるものだった。
“外壁塗装工事のお知らせ”
社員寮の掲示板に貼られた一枚の紙を前に、僕は立ち尽くす。内容は、向かいのマンションが外壁塗装を施工するため、近隣の皆様にはご迷惑をお掛けしますという簡単な挨拶文だった。
社員寮ゆえに、住む上で知らないと困るような情報は会社を経由して伝えられる。
掲示板に貼り出されているのは、「ゴミ袋ルールを守って出しましょう」という標語と、町内会の行事案内(明らかにご老人向け)くらいなものなので、完全にノーマークだったのだ。
僕はもう一度、四方をシートに包まれた向かいのマンションを見上げた。
「さすがに、これじゃあ間違わないよな」
小ぶりのマンションとはいえ、塗装工事には半月ほど掛かるだろう。その間はおそらくマンションはシートにすっぽりと身を隠したままなのだ。
さすがに、酔っ払った岡園さんもちゃんと自分の家を見分けられるに違いない。
「いや、あの酔っ払い方なら間違えるかも知れない」
淡い期待をぽつりと口に出して、僕はようやく少しだけ落ち着きを取り戻した。
そもそも、塗装工事が終われば元通りだ。
また、きっと彼女は僕の部屋へと帰ってくるに違いない。
このとき、そんな風に楽観的に考えていた僕は、一ヶ月後突き付けられた現実に再び打ちのめされることになる。
結果として。
この日を境に、岡園さんが僕の部屋へ“帰って”くることは一度もなかった。
足場とシートがすっかり取り外された後、現れたのは今までの温かみのあるクリーム色ではなく、ダークブルーのシックな外観のマンションだった。
どうやら大家の意向でイメチェンを果たしたらしい。
僕の淡い期待や、楽観的な予想は見事に粉々に砕け散った。



