今回、珍しく勇は質問をたくさん持ってきて、かれこれもう一時間程度はこの調子だった。かき集めた、いろいろな人の字が混ざっているコピーノートに、わからない問題の印である赤丸が、まだかなりついている。もう一時間ぐらいかかるって考えといた方が良いのだろうか。まあ、勇といると何かと楽しいから、いっか。
「片倉ぁ!」
 と、その時。教室の片隅から、俺を呼ぶ声がした。孝樹だ。
「あー?」
 なんだか声が、いつもより低いな。嫌な予感がしつつも、気の抜けた返事をわざと返すと、彼はクラスメイトと二人で机を囲み、こちらを見ていた。机の上にはテキストとノート、そして彼は無表情である。ここまで条件がそろえば、大抵言われそうなことの予想はついた。ああ、もうめんどくさい。
「ちょっと静かにしろっちゃ、迷惑やろーもー」
 めちゃくちゃ、雰囲気が悪い。例の、射すような視線だ。
 でも。
 俺たちも一応勉強しているのだ。しかも、図書館や空き教室では一言も話さずに真剣にやっている奴らが勉強しているから、一番うるさくても大丈夫な教室を、あえて選んだというのに。
「知らんしー、俺たち勉強しよるんやもん、ね、俊ちゃん?」
 何も言い返せず黙っていた俺の向かいで、勇がわざと明るい声で冗談っぽく、孝樹に言い放った。思わず、その行為にどきっとする。おい、火に油だぞ。すると、孝樹は小さく「フーン」ともらすと、向かいの子に「向こうの教室に行こう」と声をかけた。そのままノートと教科書を片づけ、かばんにしまい、教室から出ていく。
「感じ悪ぃなあ、孝樹」
 出ていく背中が消えるか消えないかの時に、勇が噴き出しながら言った。どうやら突然孝樹が不機嫌な態度に出たことが、おかしかったらしい。
「やねえ、こっちもわざと教室えらんで勉強しとんのに」
「へーんなの! さ、俊ちゃん、それより続きやろうぜ!」
「おっしゃ! どこだ?」
 へーんなの、で片づける勇には、たぶん分かっていない。あいつ、勇があんな風に言い返さなかったら、あんなにあっさりとは引き下がらなかったはずだ。他の奴にはもっと柔らかい態度や言葉なのに、俺の前ではとたんにあれである。正直、どうして良いのかわからない。普段あんなに気の良い奴が、何かスイッチが入ったかのように、ころりと変わってしまうのだ。俺が悪いのだろうか……悪い、と思ってなかったら、わざわざつっかかってこないか。でも、わざわざそんなにギスギスしなくて良いと思うんだけどな。
 それから一時間以上かけて、勇の質問にすべて答えると、外は真っ暗になっていた。しかも、しとしとと雨まで降っている。傘をベランダの傘立てからとり、コートをはおって下足箱へ行くと、もう外を警備員のおじさんがまわりはじめていた。グラウンドの向こうの方で、懐中電灯の光がのろのろと動いている。
「げー、寒い!」
 ジャンプ傘をひらくと、横で勇が白い息を吐きだした。
「雨やしなあ……冬の雨ほど嫌なもんないわな」
「冷たいもんなあ」
「……はあ、はよ雪降らんかなあ」
 この雨が雪に変わるのは、早くても十二月の後半になってからだろう。そして、積もるか、という問題になるとおそらく、年明けにしか望めない。
「なあなあ! 今年も積もったらさあ、俺ん家と俊ちゃん家で遊ばね?」
 隣ではずんだ声を出した勇に、俺はにやりと口元をゆるめた。
「なに? またかまくら作る?」
 俺の家と勇の家は徒歩十分もかからない距離で、毎年雪が積もると双方の家の庭に積もった雪で遊ぶのが恒例の行事だった。朝、一センチぐらい積もっていれば、すぐに俺からか勇からか、「遊ぼう」と電話がかかってくる。昼ごろになったら絶対に太陽がでてきて全て溶けてしまうから、それまでが勝負だった。その時点で学校から休校の連絡がまわってきていなくても、一時間後にはあまりの生徒のあつまりの悪さと、交通網のストップ具合から、必ず学校が休みになるのを見越して、はじめからもう登校しないのだ。
「かまくら?」
「あれだよ、バケツで型とって積み上げてって作るやつ、去年やったやん」
 不思議そうに首を傾けた勇に、俺はバケツの形を手で表しながら、「覚えてない?」と首を傾け返した。
「あー! あー! あー! あの雪足りんで完成しなかったやつね!」
 とたん、思い出したのかぱっと顔を明るくする。
「そうそう、結局腰痛くなって昼からDVD見た時の」
 確かあの時、怖いDVDを友達にもらったから、見ようといって意気込んで見たのに、ぜんぜん面白くなくて途中で二人とも寝てしまった。あれも、リベンジするか。
「なつかしーなー。あれどんぐらいの高さんなったけ?」
「一メートルぐらいやなかった? なんか、出来たん壁だけな気がする」
「今年こそ完成させようや!」
「完成出来るほど、積もれば良いけどなあ」
「いいや、積もる! 信じる!」
「よし、雪乞いするか!」
「雪乞いしよう!」
 雪ふれー、と二人でさけびながら、雨の中を歩いていく。いつの間にか、下足箱を出た時に感じた寒さは、どこかへと消え去ってしまったようだった。