突然の温の訪問は、今まで以上に俺の気を引いた。授業中、ノートをとりながら頭の中ではふと気がつけば温のことを考えていてる。
温って、どんな子だったんだろう。どうして死んだのかって、スキャンダラスなことにばかりとらわれて、温自身については今まであまり深く考えたことはなかった。ただ、友達としてやっていけそうだと、思っただけ。でもそれにしては、彼のことを知らなさすぎる。俺の友人関係って、いつもこんな感じだ。基本はだれとでも同じように接するから、クラス全体とまんべんなく付き合えている。升田が良い例だ。
俺はあいつの事を、深くは知らない。裏で悪いことをしていると、うっすら知ってはいるが、具体的に何をやっているのかも知らないし、もちろん家庭の事情も知らない(そういえば、兄弟がいるのかさえ、聞いたことがない)。それでも、あいつとさわいで、結構楽しいから、一緒にいるのだ。時々、面倒だと思うことはあるけれど……て、駄目だ駄目だ! 授業に、集中しなきゃ。無理やり視線を黒板に向ける。その時ふと、孝樹の後ろ姿が目に入った。ほとんどの生徒の頭が机にくっついている中、一人姿勢よく前を向いている。ああ、真面目に授業うけてるな。そう思ったとき、隣の席の奴がこそこそ孝樹に声をかけた。ノートをとる手をとめ、彼はそれに耳を傾けたかと思うと、何か言い返し、二人でくしゃりと顔を突き合わせ、笑う。その間にも、先生は黒板の文字を消し、新しい板書をはじめた。あ、今あいつ、全部書けなかったろうな。どうするんだろう、と思って孝樹を見たが、彼は気にも留めていないように、まだ隣の奴と笑い声をかみ殺してじゃれあっている……あれ、俺だったら無理だな。絶対ノートを取るほうを優先させる。たぶんあいつはああやって話しかけたらいつでものってくれるから、クラス中の人気者なのだろう。
『俊弥っちさ、本好きなん?』
ふと、俺と孝樹が出会ったばかりの頃を思い出した。当時空前の読書ブームがきていた俺は、暇さえあれば本を読んでいたのだ。
『ああ、うん』
その時も、文庫本を読もうとページを開いた時で、いきなり横の席だった孝樹が話しかけてきたのだ。そんなに仲良くなかったし、本を読むような奴には見えなかったから、ちょっとびっくりしたのを覚えている。
『本っち、面白い?』
『面白いよ』
『なら、今度俊弥が面白いっち思ったの、貸して!』
そういえば、本の貸し借りから、仲良くなったんだっけ。自分が仲良くなろうと思ったら、相手のことをとりあえず知ろうとするのが、あいつのやり方だ。
『いいよ。じゃあ明日持ってくんね』
そして、いくら意外に思っても、深く詮索もしないで無難に調子を合わせるのが、俺のやり方。この時も「何でこいつはいきなりこんな事いいだしたんだろう」と思ったが、何も言わずに次の日、本を貸した。あんまり他人のことを気にしない、自分でもそんな性分だと思ってきたが。
でも、温のことは気になって、調べている。俺にしては、珍しいことなのかもしれない。でもそれはたぶん、温との関係が普通の友人とは少し変わったものだからだ。温は、死んだ人間だ。常にクラスメイトとして、卒業まで接触しなければいけないわけではない。友達のようだけど、ちょっと違う存在。だからこそ、気になる存在。
自然とまたノートに目が落ちていることに気づく。ああもう、テスト前なのになんでこんな答えの出ないこと、考えているのだろう。温の訪問以来ずっとそうだ。あまりにもぼーっとしすぎているらしく、勇に心配顔で覗きこまれたり、孝樹に「つかれとるな」って爆笑されたりした。悩みの種のことを、言えるわけもなく全部「数学と化学のテストやばい」でごまかしたけど。いや、その二教科がやばいのもれっきとした事実だが。
そういえば、何で俺だけに温が、見えているのだろう。あと十分弱で授業は終わる。こうなれば、完全放棄だ。あえて俺は答えの出ないむずがゆさを味わうことを決心した。
今まで幽霊は、見たことがなかった。クラスには数人、今までに幽霊を見たことがあるというやつがいた。嘘か本当かはわからないのだが、高校生になってまで、そんな幼稚な嘘をつくやつもいまい。そう考えれば、彼らのほうが見えて妥当なのに。もし彼らに温のことが見えていたのならばきっと、俺に言っているだろう。俺が「見た」という噂は、学年中に広がっているはずだ。もしそんな奴がいたら、すごくうれしい。このもやもやを、ぶつけたい。誰かに向って、吐き出したい。そして、「あれは何なのだ」ってことを、一緒に話し合いたかった。初めて直面した問題に、一人で立ち向かうのはいかにもしんどい。
でも、そんなに考え込むことでもないのかもしれないとも、思う。きっと他人にこう言われたら、「そうか」と言って忘れられるのだろう。それが出来たらどれだけ楽なことか。何回目のため息だろうってぐらい、ため息が出る。
窓の外では冬の冷たい雨がひっきりなしに降っていた。四季を通じて降る雨で、たぶん一番いやな雨。この雨を、温は感じることができるのだろうか。貯水タンクの上で、今雨に打たれているのだろうか。
なんであいつは、学校にとりついたんだろう? 丁度なったチャイムとともに、学級委員の号令が響いた。
「やけえー! このカンマで文が切れとおけ、まず切る!」
「きる! はい!」
テスト直前、毎回毎回恒例のノート写しと質問大会が始まった。大抵テスト期間の二週間前から、勇は重たい腰をあげる。あげたはいいが、まずすぐには歩きだそうとしないので、ゆっくりゆっくり一週間かけて、まずは授業中寝ていて写していない分のノートを集めるのだ。早ければ集めながら、見直して分からないところをあぶりだしていく。そして一週間前ぐらいから、ぼちぼち俺に質問をはじめる、と、これがお決まりのパターンだった。勇は文系教科プラス化学・生物(理系教科のはずなのに、何故か俺の担当になっている)を俺に聞いて、俺は苦手な数学を勇に聞く。中学生の頃から変わらない俺たちのスタイルだ。
「きったらこのthatを四角で囲む!」
「囲む! はい!」
「以下下線下線下線――……」
「下線下線かせ――……」
「かせぇーっと! ストップ!」
「うおぉぉい!」
勇がシャーペンをふりあげた。しかし、うるさい。勉強するにしても、何故か俺たちのやり取りはヒートアップしてしまうのだ。もちろん、教室にテスト勉強をしているグループが他にもいた。けれど、俺たちも一応勉強しているのだから、遠慮はなしだ。
「そしてこのカンマでthatの内容切れる!」
「切れる! そして?」
「前の文とつながる! おわり! これで読める!」
「おおー、なるほどぉー!」
たぶんこれは相乗効果だ。俺のテンションの上に、負けじと勇のテンションがかぶさってくる。そしてそのまた上に、俺のテンションがかぶさる。これをどんどん繰り返して、取り返しのつかないほど高いテンションへとのぼりつめていくのだ。しかも、小学校の頃からこれだから、お互いの欲しているノリが、空気でわかる。
「さあ、これで英語はおわりやな? 次は?」
「次はぁー……世界史!」
「おっしゃ! どんと来い!」
こうやって騒いでいる間は、ずっと頭からはりついて離れてくれない温の事を忘れられる。考え込んで、黙り込んでいる時よりも、だいぶん気が晴れるのだ。
温って、どんな子だったんだろう。どうして死んだのかって、スキャンダラスなことにばかりとらわれて、温自身については今まであまり深く考えたことはなかった。ただ、友達としてやっていけそうだと、思っただけ。でもそれにしては、彼のことを知らなさすぎる。俺の友人関係って、いつもこんな感じだ。基本はだれとでも同じように接するから、クラス全体とまんべんなく付き合えている。升田が良い例だ。
俺はあいつの事を、深くは知らない。裏で悪いことをしていると、うっすら知ってはいるが、具体的に何をやっているのかも知らないし、もちろん家庭の事情も知らない(そういえば、兄弟がいるのかさえ、聞いたことがない)。それでも、あいつとさわいで、結構楽しいから、一緒にいるのだ。時々、面倒だと思うことはあるけれど……て、駄目だ駄目だ! 授業に、集中しなきゃ。無理やり視線を黒板に向ける。その時ふと、孝樹の後ろ姿が目に入った。ほとんどの生徒の頭が机にくっついている中、一人姿勢よく前を向いている。ああ、真面目に授業うけてるな。そう思ったとき、隣の席の奴がこそこそ孝樹に声をかけた。ノートをとる手をとめ、彼はそれに耳を傾けたかと思うと、何か言い返し、二人でくしゃりと顔を突き合わせ、笑う。その間にも、先生は黒板の文字を消し、新しい板書をはじめた。あ、今あいつ、全部書けなかったろうな。どうするんだろう、と思って孝樹を見たが、彼は気にも留めていないように、まだ隣の奴と笑い声をかみ殺してじゃれあっている……あれ、俺だったら無理だな。絶対ノートを取るほうを優先させる。たぶんあいつはああやって話しかけたらいつでものってくれるから、クラス中の人気者なのだろう。
『俊弥っちさ、本好きなん?』
ふと、俺と孝樹が出会ったばかりの頃を思い出した。当時空前の読書ブームがきていた俺は、暇さえあれば本を読んでいたのだ。
『ああ、うん』
その時も、文庫本を読もうとページを開いた時で、いきなり横の席だった孝樹が話しかけてきたのだ。そんなに仲良くなかったし、本を読むような奴には見えなかったから、ちょっとびっくりしたのを覚えている。
『本っち、面白い?』
『面白いよ』
『なら、今度俊弥が面白いっち思ったの、貸して!』
そういえば、本の貸し借りから、仲良くなったんだっけ。自分が仲良くなろうと思ったら、相手のことをとりあえず知ろうとするのが、あいつのやり方だ。
『いいよ。じゃあ明日持ってくんね』
そして、いくら意外に思っても、深く詮索もしないで無難に調子を合わせるのが、俺のやり方。この時も「何でこいつはいきなりこんな事いいだしたんだろう」と思ったが、何も言わずに次の日、本を貸した。あんまり他人のことを気にしない、自分でもそんな性分だと思ってきたが。
でも、温のことは気になって、調べている。俺にしては、珍しいことなのかもしれない。でもそれはたぶん、温との関係が普通の友人とは少し変わったものだからだ。温は、死んだ人間だ。常にクラスメイトとして、卒業まで接触しなければいけないわけではない。友達のようだけど、ちょっと違う存在。だからこそ、気になる存在。
自然とまたノートに目が落ちていることに気づく。ああもう、テスト前なのになんでこんな答えの出ないこと、考えているのだろう。温の訪問以来ずっとそうだ。あまりにもぼーっとしすぎているらしく、勇に心配顔で覗きこまれたり、孝樹に「つかれとるな」って爆笑されたりした。悩みの種のことを、言えるわけもなく全部「数学と化学のテストやばい」でごまかしたけど。いや、その二教科がやばいのもれっきとした事実だが。
そういえば、何で俺だけに温が、見えているのだろう。あと十分弱で授業は終わる。こうなれば、完全放棄だ。あえて俺は答えの出ないむずがゆさを味わうことを決心した。
今まで幽霊は、見たことがなかった。クラスには数人、今までに幽霊を見たことがあるというやつがいた。嘘か本当かはわからないのだが、高校生になってまで、そんな幼稚な嘘をつくやつもいまい。そう考えれば、彼らのほうが見えて妥当なのに。もし彼らに温のことが見えていたのならばきっと、俺に言っているだろう。俺が「見た」という噂は、学年中に広がっているはずだ。もしそんな奴がいたら、すごくうれしい。このもやもやを、ぶつけたい。誰かに向って、吐き出したい。そして、「あれは何なのだ」ってことを、一緒に話し合いたかった。初めて直面した問題に、一人で立ち向かうのはいかにもしんどい。
でも、そんなに考え込むことでもないのかもしれないとも、思う。きっと他人にこう言われたら、「そうか」と言って忘れられるのだろう。それが出来たらどれだけ楽なことか。何回目のため息だろうってぐらい、ため息が出る。
窓の外では冬の冷たい雨がひっきりなしに降っていた。四季を通じて降る雨で、たぶん一番いやな雨。この雨を、温は感じることができるのだろうか。貯水タンクの上で、今雨に打たれているのだろうか。
なんであいつは、学校にとりついたんだろう? 丁度なったチャイムとともに、学級委員の号令が響いた。
「やけえー! このカンマで文が切れとおけ、まず切る!」
「きる! はい!」
テスト直前、毎回毎回恒例のノート写しと質問大会が始まった。大抵テスト期間の二週間前から、勇は重たい腰をあげる。あげたはいいが、まずすぐには歩きだそうとしないので、ゆっくりゆっくり一週間かけて、まずは授業中寝ていて写していない分のノートを集めるのだ。早ければ集めながら、見直して分からないところをあぶりだしていく。そして一週間前ぐらいから、ぼちぼち俺に質問をはじめる、と、これがお決まりのパターンだった。勇は文系教科プラス化学・生物(理系教科のはずなのに、何故か俺の担当になっている)を俺に聞いて、俺は苦手な数学を勇に聞く。中学生の頃から変わらない俺たちのスタイルだ。
「きったらこのthatを四角で囲む!」
「囲む! はい!」
「以下下線下線下線――……」
「下線下線かせ――……」
「かせぇーっと! ストップ!」
「うおぉぉい!」
勇がシャーペンをふりあげた。しかし、うるさい。勉強するにしても、何故か俺たちのやり取りはヒートアップしてしまうのだ。もちろん、教室にテスト勉強をしているグループが他にもいた。けれど、俺たちも一応勉強しているのだから、遠慮はなしだ。
「そしてこのカンマでthatの内容切れる!」
「切れる! そして?」
「前の文とつながる! おわり! これで読める!」
「おおー、なるほどぉー!」
たぶんこれは相乗効果だ。俺のテンションの上に、負けじと勇のテンションがかぶさってくる。そしてそのまた上に、俺のテンションがかぶさる。これをどんどん繰り返して、取り返しのつかないほど高いテンションへとのぼりつめていくのだ。しかも、小学校の頃からこれだから、お互いの欲しているノリが、空気でわかる。
「さあ、これで英語はおわりやな? 次は?」
「次はぁー……世界史!」
「おっしゃ! どんと来い!」
こうやって騒いでいる間は、ずっと頭からはりついて離れてくれない温の事を忘れられる。考え込んで、黙り込んでいる時よりも、だいぶん気が晴れるのだ。
