「失礼しました」


保健室を後にし、縁は依人に深く頭を下げた。


「ありがとうございました」

「そんなに畏まらないでいいよ。骨折じゃなくてよかったね」

「はい。今はさっきと違って嘘みたいにそんなに痛くないです」

「っ」


縁がそう言ってはにかんだ瞬間、胸の中が締め付けられる感覚に襲われた。


「そう言えば、名乗ってなかったね」


依人は胸の切なさを振り切るように名乗ろうとしたが、縁に遮られてしまった。


「あの……存じ上げています……入学式で在校生代表の挨拶をしていましたよね? ――桜宮先輩」


頬を染めて小さく挙手しながら言ったのは苗字だとしても、嬉しさと切なさが入り混じった感情が胸の中で溢れ出して止まない。


「覚えていてくれたんだね」


平静を装い、にこりと微笑みかけると、縁の大きな瞳が揺れた。


「はいっ。だって……」


縁は何か言いかけたかと思えば、口を噤んで顔を隠すように俯き出した。


(何言いかけたんだろ……)


依人は気になってしゃがみ込むと、縁の顔を覗き込むように見つめる。


「〜っ!」


目が合うと、縁はそらすように潤んだ瞳を伏せた。


縁の一挙一動が見逃せない。
ずっとこの目に映していたい。


一歩間違えると、ヤンデレにも捉えかねない考えが無意識に頭を過ぎった。


(名前しか知らない子に何考えているんだよ。今の俺は頭がいかれてる)


内心、自分自身に突っ込みを入れた。


「桜宮!」


突然耳に入った声に、依人は咄嗟に立ち上がり縁から距離を置く。


声のする方へ視線を向けると、先程まで一緒に試合していたクラスメイトの男子がいた。


「もうすぐ決勝戦だから早く戻って来いって」

「悪いな。今行く」

「急げ急げ!」


依人は駆け出す寸前、振り向くと縁に声をかけた。


「佐藤さん、またね」

「あ、はい……っ、さよならっ」


依人は後ろ髪を引かれる思いで、縁と別れて体育館へ向かった。


(ボールが入らなければ良かったのに)


もっと縁と一緒にいたい。
そんな思いが依人の脳内を支配していった。


この時、依人は自覚したのだった。


消え失せたかと思った誰かを想う感情を、名前しか知らない縁に抱き始めていたことにーーーー