純な、恋。そして、愛でした。



しばらくして私も眠くなり、瞼を閉じた。
二人で眠ってしまっていた私たちは数時間後、おばあちゃんの声で目を覚ました。


帰り道、冬の風に当たりながら私たちは当たり障りのない会話だけをして歩いた。
寝顔の写メは見せると怒られた。



親子関係って、どうしてこんなに難しいものなのだろう。
なぜシンプルにうまくいかない?


人は必ず間違える。完璧な人間などいない。みんなわかっていることなのに、自分じゃない誰かにたくさんの無謀に思えることを望んでしまう。


愛されたいことも、そう。


人にはそれぞれ感情があって、でもそれはみんな同じ方向を向いているわけじゃない。
生まれながらに平等に持つものだけど、同じ事象に対して同じだけの熱量を抱くのは難しい。


愛されたくても、自分が愛されていても、相手に望むだけの感情は、なかなか手に入らない。


どうして? なんで? 普通、こうじゃないの?


そういった自分の趣味思考で巡らせた疑問だらけの感情は少しずつ“願い”から“怒り”に変わる。


子どもの頃は考えつかなかったけれど、親だからって完璧な人間なわけじゃないんだ。
大人だから、なんでも知っていて、欠陥がないわけじゃない。


子どもより長く生きて、いろんな経験をしているから、対処方法を知っているかもしれないが、困難をすべて回避できる方法なんて知らない。ないのかもしれない。


私はまだ十七才だ。でもこれだけはわかる。


“生きることは、みんな平等に難しい。”


生きたくても、生きられない命があって、生きたくても、死にたくなる命がある。


反比例しているように思える言葉でも、それぞれ抱える事情が違う以上、それはやむを得ない。


育った環境が違えば、感受性だって異なる。同じ出来事が起きても、感じ方は違うのは多少いかし方ないことだ。


でも、私はそんな世の中でも大好きな人にはできるだけ笑って生きてほしいと思うんだ。
派手な幸せじゃなくていい。ささやかな、すこし笑えるだけでいい。


寝顔の写メや、変顔を見せて、君が笑う。
そんな幸せが連なって、過ぎていく一瞬一瞬をいい思い出に留めてほしい。多くは望まない。


人はなんの前触れもなく亡くなる。
私の赤ちゃんがそうだったように。


大好きな君が、いつ死ぬかわからない君が、一秒でも長く、多く、笑っていられるように。


初めて黒野くんの涙を見てから、私はそう願ってばかりいる。