純な、恋。そして、愛でした。



「黒野くん、また新しく予約入ったよ」


厨房に足を踏み入れて、報告した。
彼は丁度ホールケーキの飾りつけをしているところらしく、「ああ」と生返事をした。



「木村美和子さんって人」

「…………」


名前を聞いた彼が突然手元を狂わせ、生クリームを皿にこぼす。
目を泳がせて、最後に私を見た。
様子がおかしいのは明らかだった。


「は?」

「やっぱり、黒野くんのお母さんだよね?」

「なんで……」

「今来たんだよ、ここに。まだ間に合うよ! 追いかけよう!」


私の予感は外れてなかったんだ。さっきの女性は黒野くんのお母さんで間違いなかったんだ。


予約表には連絡先も記入してもらった。
偽名を使わなかったってことは、本物の連絡先かもしれない。
だけど、一秒でも早く会った方がいいに決まっている。


「いい。会いたくない」

「なんで? 会わないと絶対後悔するよ⁉」

「だからなんでお前は勝手に俺の感情決めんだよ!」

「子どもに会いたくない母親なんていないからだよ!」


叫ぶと黒野くんは面食らったように押し黙る。私は泣きそうになりながら黒野くんを見た。


「私は会いたかったよ……? 事情はよくわからないし、黒野くんの気持ちには寄り添ってあげることはできない。だけど、ここにお母さんが来たってことは、間違いなく黒野くんに会いに来たってことだよ。会ってあげてよ。好きじゃない我が子に会いに来たりしない」


お腹にいた私の赤ちゃんをもしも私が無事に産めていたとして、何らかの事情で手放さなくてはいけなくなったとして、十七年の時が経って会いに来るとしたらそれはもう……会いたかったの一言だと思うんだ。


複雑だとは思う。だけど、愛してる子どもに会えないのは悲しい。その気持ちは痛いほどわかるんだ。


「二人して大声ば出して、どげんしたと?」


二階から降りて来たおばあちゃんが怪訝な顔で私たち二人を見た。
私たちは顔を見合わせて「黒野くんのお母さんがさっき来たの」と説明した。


「美和子さんが……そうか……」


おばあちゃんはそう言うと黙った。
そしてしばらくすると「お店を閉めて二階に来なさい」と付け加えて再び二階へと戻って行った。