純な、恋。そして、愛でした。



息を切らしながらスーツを着た男性がそう言った。随分と走って来たのか額には汗をにじませていて、ネクタイは明後日の方向に歪んでいる。見た目年齢は三十代前半といったところか。


「一応閉店の時間なのですが、どうかされたんですか?」


男性にそう問うたのは黒野くんだった。


「今日息子の誕生日なんですが……っ、お恥ずかしながらすっかり忘れてしまっていて、バースデイケーキを買いたいのですが……っ」


男性の訴えに黒野くんと顔を見合わせる。確か売れ残りのケーキにバースデイケーキになるようなホールはなかったような……。


「すみません。うちにはもうバースデイケーキにできるケーキがないんですよ」

「そう、ですよね……こんな時間に空いてるお店ももうないですし……諦めるしかないですよね。お騒がせしました……」

「あ、待ってください」


悲痛な顔で無理やり笑ってその場を去ろうとした男性の背中を、黒野くんが呼び止める。


「すこし時間をください。準備するんで」

「黒野くん……?」

「俺にいい考えがある」


そう言った黒野くんに今度は私と男性が目を合わせて首をかしげた。


黒野くんが厨房に行って作業している間、私と男性は二階のリビングで待つことになった。素性の知れない男性と一緒の空間にいるのは落ち着かないので名前を聞くと「あ、木田谷です」と教えてくれた。


四角いテーブル前に座るのは私を含めた三人。おばあちゃんがお茶をすすり、私と木田谷さんはその傍らで気まずく黙りこくっていた。目の前に出されたお茶はまだ夏の香りが残るこの季節に熱そうに湯気を立てている。


自分の家じゃないリビングでクラスメイトのおばあちゃんと今日初めて会った男性と机を囲むなんて、なんなんだ、このおかしな状況は。私はわざとらしく咳ばらいをすると口を開いた。


「む、息子さん。おいくつになられるんですか?」


この無言に耐えられる忍耐力は私にはなかった。


「今日で五歳になります」

「へ、へぇ……」


続きそうにない会話だと直感的に思ったのだが、案外そうでもなさそうだ。
木田谷さんがすこし憂いを含んだ笑みを浮かべて口を開いた。