優しい頷き。黒野くんの顔は見ずに前だけを見ていた。
「そしたら応援してくれた。一緒に頑張ろうって」
「そうか。良かったな」
「うん」
黒野くんの声、好きだな。聴いていると安心するんだもん。横顔も凛々しくて格好いいと思う。
会えるだけで、嬉しさが身に染みる。トクトク可愛らしく動く心臓。緩む頬の筋肉。
たぶんね、私、もう気づいている。黒野くんに、恋、してるってこと。わかってる、本当は。
あの、踏切で助けてもらった夜から、きっと私は彼のことが好き。
恋を知らないからとか、これが好きの感情なのかわからないとか、色々御託を並べて心の中にある気持ちに知らんぷりを決め込んでいたのだけど、もう認める。
生まれて初めての恋を、私は彼にした。
「志乃おはよー」
「おっはー」
教室に入ると各々が私に向かって挨拶を飛ばしてくれた。それに応えて席に座る。
かばんの中身を机に入れ込みながら考える。
私にはもう恋をする資格なんてとうにない。だって、お腹の中には赤ちゃんがいる。母になるのだから、こいなんてしている場合じゃないんだ。
それに、自分じゃない他の男との子供を妊娠している私に誰が恋するっていうんだ。
想ったって、報われないのがわかっているのだから、私はこの恋を一刻も早く忘れるべきだ。
そうじゃないと苦しいだけだ。こんなこと考えている今も、物凄く切ない。
やっと恋ができたのに、初めから諦めないといけないことが決まっているだなんて。
でも、いいんだ。お腹の子が、一番大切なのだから。
学校が終わって、私は黒野くんと一緒に黒野くんの家に向かった。早速今日から昨日話していたアルバイトが始まる。
古い商店街を行き、ケーキ屋さんの前で立ち止まる。
「おばあちゃんこんにちは」
ドアの動きに合わせて鳴る鈴の音を聴いて、お店の中に入る。甘い生クリームの匂いが鼻をくすぐった。幸せになれる香だと思う。
「志乃ちゃんいらっしゃい。すまないねぇ、手伝ってくれるんだろ?」
「はい、今日からよろしくお願いします!」
「こちらこそよろしくね」
笑顔でおばあちゃんとお話ししていると、奥に行っていた黒野くんが緑色のエプロンとラミネートされた用紙を一枚手にして戻って来た。



