純な、恋。そして、愛でした。



全てが親不孝な娘だと、非難されてもおかしくない行動だった。でもなんだろうな、今私たち親子を包む雰囲気は、そんな刺々しいものじゃない。緩やかで、とても温かい。


「いいのよ、これからまた仲良しな親子にもどりましょう」


記憶が鮮明によみがえる。
思い出せかった、ずっと。感情が邪魔をして記憶を綺麗な色でめくることができなかった。


父が死ぬ前、私たち親子はどんな関係だったのか、頭の中の映像がモノクロに見えていたから。でも、今なら鮮やかな色彩で振り返ることができる。


『おかあさん、わたし、きょうハンバーグが食べたい!』

『えー、また?』

『だって好きなんだもん』

『うーん、しょうがないなぁ、わかった、いいよ』

『やったぁ!』


幼い頃の記憶。公園からの帰り道。私が五歳の時だ。


『お母さん! 私の体操服どこ⁉』

『知らないよ? あ、そういえばあんた洗濯に出した?』

『いいや。でも洗濯してって言ったじゃん』

『洗濯機に入れといてって言ったでしょ? もうまったく。体育何時から?』

『五時間目』

『じゃあ洗濯して乾かしたら持って行くから』

『わかった! お母さんありがとう!』


小学生の頃の記憶。お母さんは嫌な顔せずに約束通り学校まで持って来てくれた。


『ねえ、まだ決まらない?』

『だって、どっちも可愛いんだもん』

『そんなにどっちも欲しいの?』

『うん……』

『しょうがないなぁ。お父さんには内緒だよ?』

『えっ、いいの⁉ ありがとう!』


中学生、お母さんとショッピングで可愛いワンピース二種類で迷っていた時、母は優柔不断な私のためにどちらも買ってくれた。


他にもたくさんの思い出の中で、私たちは笑いあっていた。確かに仲のいい親子だったね。


なのに私はお父さんが死んで泣き崩れたお母さんにどう声をかけたらいいのかわからなくて、私も泣きたいのにお母さんは一人で泣いて、どうすればいいかわからなくて、無意味な感情を母に向けた。


ずるいって、思ったんだ。お母さんだけ泣いて、自分だけ悲しいって感情を剥きだしにできて。