「……兎に角、私は志乃の味方だから、なにかあったらすぐ私に相談すること」
「はーい」
「次は黒野よりも先にね?」
「え?」
全てを見透かしたような楓がお茶目に顔のパーツを中央に寄せ集めて笑った。私は動きを止めて彼女を見た。
タイミングを見計らったかのように軽快なリズムとは裏腹に、憂鬱な気分にさせるチャイムが鳴り響き、昼休みが終わりを告げた。
「ほら、行くよ」
「う、うん……!」
上ずった声を出した私を急かす楓に、置いて行かれないように慌てて食べていたものを片付けて背中を追いかける。
音楽室を出て廊下を進み、教室に行くと着席ギリギリで授業開始の合図を聞いた。
既に教室に来ていた科学の先生は「始めるぞー」と声をかけ、日直の号令で午後の授業が開始された。
楓はやっぱり鋭い、なにもかも気づいているのだろう。彼が私の事情を知っていることも、私が彼に心を許していることも。
今度訊いてみようかな、楓に。
私、彼に恋をしていると思う? って。
放課後になった。配られたプリントなどをかばんに詰め込んでいくと楓が近づいて来て「じゃあね、志乃」と声をかけてくれた。
「うん、また明日」
小さく手を振って別れた。確か今日は彼氏とデートだって言ってたような。いいな、楓は好きな人と恋人でいられて、羨ましい。
自分も相手が好きで、相手も自分が好きで、同じ想いを同じだけ抱いて恋人同士になれることは、この広い世界でどれだけの確率なのだろう。想像できないな。
恋を知らない私が珍しいのか、それとも愛し合っている恋人がいることの方が珍しいのか、でも後者だとしたらとっくに人間は滅びていそうだけど、そういう簡単な話じゃないのかもしれない。
恋を本当の意味で知らないまま、少し前の私のように誰かと恋に落ちたふりをして、家族をつくって人生を終える人もいたりするかな。
考えているうちに話が壮大になってきたが、単純に疑問だ。
この世界に存在している幾多の夫婦たちは、心の底から愛し合って結婚をして、家族をつくっているのか、知りたい。
私の母と父も、恋をして、愛し合って、私が生まれたの?
遠い記憶を手繰り寄せていくと、幾つかの思い出にぶつかる。
お父さんとお母さん、喧嘩している姿はあまり見たことがないな。
特別仲が良い両親という印象でもないけれど、悪いとも思ったことがない。
父が病気になってから母はよく泣いていた。
そんな母になんと声をかけたらいいのか、当時の私はわからずにいた。
正直、今でもまだわかっていない。あの時、一人でしくしく泣く母の背中になんと投げかけたら良かったのか。
ただ言えることは、私も同じ気持ちだったということだけ。私も父が苦しむ姿を見て泣きたくて、悲しくて仕方なかった。
ーーガタタッ。
ぼうっとしていた私に後ろの席の椅子が動く音が届いて肩をビクつかせた。それにつられるように後ろにふり向くと立ち上がっていた黒野くんと目が合う。
刹那に深刻になっていた思考が緩み、解かれていく。脳に刻まれた皺が伸ばされていくようだ。
「……なに」
「ううん、なんでもないよ」
昨日と一昨日の放課後を一緒に過ごしたから、今日はこれでばいばいなのかと思ったら切なくなった。
そんなこと言えないけれど。
「……途中まで一緒に帰るか?」
「え、いいの⁉」
あからさまな反応すぎたと反省していると黒野くんが数歩進んで振り返る。



