「…………」


無言で帰宅すると、いつもはついていないリビングの明かりがついていることに気がついて目を瞠る。


廊下の木目に扉の小窓の形に影がくりぬかれていて、もしかしたら母がもう仕事を終えて帰って来ているのかもしれない。


疲労感のたまった身体を赴かせ、恐る恐るリビングの扉に手をかけた。


「あら、おかえり」

「た、ただいま……」


予想はしていたのに、驚いてしまった。声が抜けるように出た。久しぶりにまともに母の顔を見たかもしれない。


笑っているのに、やつれたような暗い顔をしている。綺麗だった母の目尻に小さな皺ができていて、目の下には酷いクマができている。それだけで胸がすこし痛んだ……気がした。


ちゃんと休んでいるの?
働き過ぎなんじゃない?


頭に浮かんだ言葉はそのまま吐き出すことはなかった。


「今からご飯つくるから」

「……うん」

「志乃、ハンバーグ好きだったでしょ?」


スーパーの買い物袋から母が思い出に浸るように食材を取り出していく姿をただ眺めた。


ただやっぱりちょっと今日の私の感情回路はおかしいのかもしれない。
母の声に泣きたくなったと同時にものすごい怒りがお腹の底辺りからわいてきた。


――急に、なに。いきなりなんなの。


それは私の中にうごめく感情にだけ向けられたものではなかった。母にもだった。


「お母さん頑張って美味しいのつくるから……」

「……いらない」

「え?」


話していた母の声がワントーン低くなる。私は心の中、煮え切らないもやっとしたものすべてをぶつけるかのように握りこぶしに力を込めた。わなわな震える。手も、怒りも。


母の目は憂いを含んだように揺れて、私を見ている。
その弱気な態度にもなんだかイラついた。
いらない、どうせつわりで食べられないし、それに……。


「いらないって言ってんの。だいたい、私のこと何才だと思ってるわけ?」

「し、の……?」

「ハンバーグが大好物だなんて、いつの話してるのよ」



静かな怒りが声に乗る。


こんなこと言ったって無駄なのはわかっている。これまで関わってこなかった時間が埋まるわけじゃない。けれど止まらない。今まで我慢してきた鬱憤が爆発したのかもしれない。


心のキャパ、妊娠が発覚した時点でとうにオーバーしていたのかも。溢れ出たものがかなり熱く、煮えたぎっているのがわかる。


「お母さんは私があの頃とまったく変わっていないとでも思ってたわけ?」

「ご、ごめん……っ」

「いきなり母親面なんかしないでよ! ずっと放っておいたくせに!」


力任せに怒鳴ってリビングを出ると自室まで駆け上がった。
扉を乱暴に開けて、閉める。
ベットに横になると枕に顔を押し付けた。